「やってしまう可能性は昔からあった」元日本代表MF乾貴士、引退も考えた激動の1年
引退を踏みとどまった理由
「自分の性格上、そういうことをやってしまう可能性は昔からあったと思います」 乾は自分の性格を痛いほど分かっている。サッカーにおいては、抜群のボールコントロールと華麗なドリブルで見る者を魅了。加えて、強い責任感の持ち主で、負けず嫌いで、自己主張も強め。血気盛んな20代の大半を海外で過ごせば、生き残るためのたくましさも身につくし、それが態度に出ることだってある。 「カッとなったり、熱くなりすぎるのは分かっています。でもこれが俺っていうのもあるんです。これを180度変えて、感情を表さない選手になったほうがいいのかどうか……。それは無理なんです。今までサッカーをやってきて、全てを直すなんてことはできなかった」 処分解除後もセレッソ大阪との話し合いは平行線をたどった。その中で、自らの進退に悩み、「サッカーができひんなら、サッカー選手をやってても意味がない」と思うようになった。それでも引退は踏みとどまった。乾の心を動かした2人の存在。一人は12歳の息子だ。 「普通に家のリビングにいたときに『パパやめるかも』って話したんです。そしたら『いや、あかん』って言われて。でももうJ1ではできひんかもやでって言ったら、『それでもいいから、やめんといて』って言われました。えー、そんなん言うんと思って、じゃあやめられへんなあって。子どもの一言って、ものすごいパワーがあるなって思いました」 もう一人は元日本代表監督の岡田武史氏からのLINEメッセージだった。 「『いろいろな思いはあるかもしれませんが、サッカーをやってください。君にはそれが一番似合います』って連絡がきました。迷っていたときにこうして声をかけてもらえてうれしかったし、励みになりました」
騒動の発端となった試合から2カ月後の6月9日、セレッソ大阪は乾との契約解除を発表した。じつは想像以上に支えてくれる人たちがいることに気づいたのもこのころ。 「玉田(圭司)さんや酒本(憲幸)さんが練習に付き合ってくれたり、トレーナーの知り合いの大学生で一緒にサッカーやってくれた人がいたりしたのは自分の中ですごく大きかった」 ネット上にあふれかえる情報よりも、現実に目を向けたとき、「これまでの人間関係とか人間性が見えちゃいました」と苦笑いを浮かべる。その過程で周囲にたくさんの理解者がいることに気づけたのは人生における大きな収穫だった。 6月15日からは無所属ながらJ2ファジアーノ岡山での練習参加の声がかかり、7月22日に清水エスパルスへの完全移籍が決まったのも、結局は人がつないでくれたものだからだ。 「本当にどうなっていたか分からなかったんで、助けてくれてうれしかったですね。岡山の練習に行ったら、温かく迎え入れてくれて、一緒にサッカーやらせてもらったときに、ああ、もうちょい続けたいなって。自分には結局これしかできないっていうのが、正直なところです。やっぱりサッカー楽しかったですね、そのときに思ったのは。だから後悔よりも感謝のほうが大きいです」