伊那谷楽園紀行(7)伊那の勘太郎と井上井月
「伊那谷は、アジールなんだ」 昨年、諏訪信仰のシンポジウムで出会った映画監督の北村皆雄に「なぜ、古から伊那谷には放浪者が集まるのか」訊ねると、こんな言葉が返ってきた。 伊那市生まれの北村は、民俗学に魅せられ数多くのドキュメンタリー作品を製作してきた。その代表作が『ほかいびと-伊那の井月』。つげ義春のマンガ『無能の人』で、その名を広く知られるようになった井上井月をテーマにした作品だ。 上伊那を中心に、家を持たず財産も持たず谷の中を流浪する後半生をおくった俳人。その人物を語る中で、北村は伊那谷を古来より芸能者など、ひとところに居住しない人々が交錯する土地として描いた。その何故かを問うた時に北村から出たのが「アジール」という言葉だった。 古来より、日本の各地には中央での政争に敗れた貴種が流浪した歴史と伝承がある。奈良県の十津川村や、和歌山県の熊野地方。岡山県の児島地方。そして、伊那谷には信濃宮宗良親王の事績が伝わる。 後醍醐天皇の皇子であった宗良親王は、建武の新政崩壊後の騒乱の中で、遠江国の井伊谷へと逃れ、そこからさらに大河原……。現在の大鹿村へと移り南朝の拠点とした。この大鹿村は、山中にありながら、塩のとれる土地であったことも、拠点となった理由だという。 さらに、伊那谷を走る三州街道や秋葉街道は中山道や東海道という幹線に比べると支配の緩やかな道。ゆえに、土地に縛られることを嫌う漂泊者たちには、幸いな土地だったのだろうか。ただ、北村のいう「アジール」という言葉を、ぼくの文章で、ぼく自身の言葉として使うのは、なにか違うように感じた。 歴史学などで用いられる政治権力の統治が及ばない場所。中世までの寺社の境内や、自治都市などの聖域性が「アジール」と呼ばれるものだと理解はしている。でも、学者でも研究者でもなく、名刺に「ルポライター」と刷っている、一介の物書きである、ぼくがそのような言葉で、わかったふりをしていては、いけないと思ったのだ。 でも、その言葉を用いて語られる伊那谷のイメージは、自ずと理解できた。いずこからともなく流れてくる漂泊の民が、なにか新しい文化を運んできてくれるのではないかと期待する。そうしたものを受け入れる風土が、伊那谷には連綿と受け継がれてきた。