伊那谷楽園紀行(7)伊那の勘太郎と井上井月
事実、映画が全国でヒットした時代には、バスが立ち寄る観光地となり、勘太郎にまつわる土産物も次々と現れた。挙げ句の果てには「勘太郎の子孫」を名乗る人物まで現れた。 でも、その熱気も今はない。 僅かな痕跡は、伊那市駅を降りる旅人に向けられた「勘太郎の街」という文字だけである。春日山公園にある碑も、公園の一角で静かに街を見守るだけだ。 映画を見た観客が勘太郎に託したのは、漂泊への憧れ。1作目に描かれた天狗党の志士たちの姿も、単なる検閲逃れの方便には見えない。そこには、人生を賭けてでもやりとげる目的を得ることの、羨ましさが見え隠れするのだ。 ぼくが、そんな作品をスクリーンで見る機会を得たのは2016年9月のことだった。毎年秋に行われている「井月まつり」に併せて1作目の『伊那の勘太郎』と2作目の『勘太郎月夜唄』が、上映される。それを聞いて、ぼくは伊那へ向かった。とりわけ後者のほうは、旭座のスクリーンで上映されると聞いたからだ。 むかし、都内にもたくさんあった名画座の特集上映みたいなもので、ほとんど客なんてこないのだろう。旭座に向かう道中で、ぼくは、ずっとそう思っていた。日に何度かの上映の中で、選んだのは朝一番の時間。著名な芸能人が舞台挨拶に来るわけでもない映画に、早起きして見にいこうと情熱を傾ける奇特な人など、ほとんどいないと思っていた。 ところが、旭座が近づくと次々と人が建物の中に入っていくのが見えた。切符を買って中に入ると、ロビーは混雑していた。急に、出遅れた感じがした。 幸いにも空いていた2階席の最前列に座ると、1階席は既にほとんどが埋まっていた。 その日の夕方、駅前にあるニシザワいなっせホールでの『伊那の勘太郎』は、さらに熱気が高かった。『勘太郎月夜唄』は、それから数日間、旭座で上映されることになっていたが『伊那の勘太郎』は、権利の都合で1回限りの上映。それを大スクリーンで見ようと、開場前からホールの入口には行列ができ、座席はすぐに埋まった。 フィルムからDVDに変換しただけで、リマスタリングもしていないだろう映像と音。映画館に比べると貧弱なホールの音響では、必死に耳を傾けないと聞き取りづらかった。なにより、説明過多が当たり前の現代の映像作品に慣れていると、物語の運びにも違和感を感じるだろうなと思うシーンが多々あった。