伊那谷楽園紀行(7)伊那の勘太郎と井上井月
それでも、観客は誰一人として文句をいうこともなく、咳払いのひとつもなく勘太郎の世界へと引き込まれていた。なぜなら、ほとんどが地元民であろう観客にとって、既に、この映画は映像と音で見て考えるものではなくなっていたからだ。観客は、大スクリーンでの上映を通して、映画の背景にある精神性と歴史性を五感で感じ取っていたのだと思う。 漂泊の民を受け入れる伊那谷の精神性は、今も続いているのだろうか。そんなことが気になった。冒頭で述べた『ほかいびと-伊那の井月』は、119分もある長尺の作品だ。その中で、一つだけとても気に入ったシーンがある。 それは、井上井月のもっともよく知られるエピソード。 食と酒が尽きると、井月は知り合いの家を訪ねる。 「おるか~」 扉を叩く井月を、家の主人は迎え入れて酒を振る舞う。酒に酔い、興が乗った井月の口癖は「千両千両」。そして、数日間を過ごした井月は、俳句を残し、また伊那谷をいずこともなく流離(さすら)っていく……。 いつかは、そのように暮らしたい。そんなことを考えるのは、ぼくだけではないと、思った。