「プロレス記念日」の7月30日に振り返る、元祖"世界のショーヘイ"・ジャイアント馬場伝説!
いまだとどまるところを知らない大谷翔平(ショーヘイ)ブーム。だが、さかのぼること約60年前、アメリカに渡り、大活躍した元祖・ショーヘイがいたことをご存じだろうか? 【写真】巨人軍の投手としてマウンドに上がる馬場 本名・馬場正平(ばばしょうへい)。そう、全日本プロレスを旗揚げした、あのジャイアント馬場である。ニューヨークやロサンゼルスを沸かせたジャイアント馬場のショーヘイ伝説を振り返る。 ■大谷だけじゃない!"元祖ショーヘイ" 大谷翔平旋風が止まらない。 昨年、満票で米大リーグ(MLB)2度目のMVPを受賞した大谷翔平。ロサンゼルス・ドジャースに移籍した今季も97試合を終えて打率3割1分5厘、30本塁打、70打点、23盗塁をマーク(7月22日時点、以下同)。本塁打はリーグ首位を独走し、打率は2位、打点は3位、盗塁は3位タイという好成績で、日本人選手初の三冠王、そして2年連続3回目のMVPも射程圏内に収めている。 まさに"世界のショーヘイ"と呼ぶにふさわしい活躍ぶりだが、実は大谷翔平が活躍する約60年前にも、アメリカのプロスポーツ界でトップを席巻した"元祖・世界のショーヘイ"とでも呼ぶべき日本人アスリートが存在した。それがショーヘイ・ビッグ・ババことプロレスラーのジャイアント馬場(馬場正平)だ。 ジャイアント馬場といえば全日本プロレスの総帥として、ライバルの"燃える闘魂"アントニオ猪木と共に長年、日本のプロレス界を牽引した昭和の時代を代表するスーパースター。 しかし、馬場が日本でトップレスラーになる前、1961年から23歳という若さでアメリカマット界でトップヒールとして君臨。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン、シカゴのアンフィシアター、セントルイスのキール・オーディトリアムなど、世界的にも有名な大会場でメインイベンターを務めたという事実は、熱心なプロレスファン以外にはそれほど知られていない。 60年代の初頭といえば、野茂英雄がメジャーで活躍し始める34年前で、さらにいえばマッシー・ムラカミこと村上雅則が日本人初のメジャーリーガーとしてサンフランシスコ・ジャイアンツで2シーズンプレーする3年前だ。 野球に限らず、アメリカのプロスポーツ界のトップで日本人選手が活躍することなど、まだ「夢のまた夢」と思われていたこの時代に、なんと馬場は全米各地のひのき舞台に立っていたのである。