「プロレス記念日」の7月30日に振り返る、元祖"世界のショーヘイ"・ジャイアント馬場伝説!
■なぜ馬場の絵本が? 今年2月、そんな馬場の偉大なる足跡と激動の人生を振り返るドキュメンタリー絵本『うえをむいてあるこう ジャイアント馬場、世界をわかせた最初のショーヘイ』(作・くすのきしげのり、絵・坂上暁仁)が発売された。 プロレスラーの伝記が絵本という形で出版されることは非常にまれだが、それに至る経緯を馬場のめいでG・馬場権利管理会社取締役の緒方理咲子さんは次のように語る。 「叔父が亡くなってはや25年。プロレスラーのジャイアント馬場をまだ知ってくださっている方も多いと思うんですが、馬場正平という人を知ってくださる方はそれほど多くはないと思います。 叔父がプロ野球選手、プロレスラーとして歩んだ、『夢はかなうもの、かなえるもの』という生き方を、2020年に生まれた私の孫世代にも絵本を通じて伝えたいと思ったんです」 今から60年以上前に全米トップで活躍した"ショーヘイ"の足跡を振り返ってみよう。 ■高校を中退してプロ野球の道へ ジャイアント馬場こと馬場正平は1938年、新潟県三条市生まれ。子供の頃から運動神経は抜群で、中学では野球部のエースとして活躍し中越地区優勝に貢献した。 体は小学校高学年時から急激に大きくなり、三条実業高校(現・三条商業高校)入学時には身長190㎝に到達。高校1年時は実力がありながらも馬場には合うスパイクがなく野球部に入ることができなかったが、高校2年時に特注のスパイクが与えられると念願の野球部に入部しエースで4番として活躍。 甲子園出場はかなわなかったが、規格外の巨体から放るピッチングが目に留まり、なんとプロ野球の読売ジャイアンツからスカウトの話が届いた。まだまだドラフト制度が整備されていない時代。馬場は高校を2年で中退し、16歳で投手として巨人軍に入団を果たした。"元祖・世界のショーヘイ"ももともとプロ野球選手だったのだ。 プロ入り後、まだ高校生の年齢だった1年目は体づくりに専念したが、2年目から早くも頭角を現し、2軍戦で12勝1敗の成績を残し2軍の最優秀投手賞にも選ばれている。翌3年目も13勝2敗の好成績によって2年連続で最優秀投手賞を受賞した。 しかし、2軍でいくら好成績を残しても馬場に1軍登板のチャンスはなかなか与えられなかった。その理由は巨人のチーム事情だけでなく、50年代という時代において身長2m超えの馬場の体はあまりにも大きく常に奇異の目にさらされ、スポーツ選手として正当に評価されづらかったことも影響していたといわれている。