「わが子」と称した家庭裁判所を去る!? 朝ドラ『虎に翼』寅ちゃんモデルの思い
日本国憲法や戦後の民法の成り立ちや、家庭裁判所の設立と、なかなかとっつきにくかった法曹の世界を身近な「自分事」として考え、伝えてくれる伊藤沙莉主演の朝ドラ『寅に翼』。ドラマの人気とともに、モデルとなった日本初の女性弁護士である三淵嘉子の生き様についても関心が集まっている。 【画像】号泣の声多し!『虎に翼』前半の名シーンの数々 6月18日現在ドラマでは、東京家庭裁判所判事補 兼 最高裁判所家庭局事務官となり、ついに念願の裁判官になった寅子の姿が描かれている。しかし、当時の家庭裁判所は、戦死した親の遺児を養子として引き取る手続きや外地で生死不明の人についての「失踪宣言」、本籍を失った人の「就籍」、戦争孤児の保護など、業務は多岐にわたり、多忙を極めた。史実の三淵嘉子も、家庭裁判所の設立にとても苦労し、滝藤賢一が演じる多岐川のモデルでもある宇田川潤四郎と奮闘する。 前編では、そんな戦後の山積した問題と向き合う嘉子の姿をドラマのエピソードと絡めながら追った。後編では、その後の嘉子の家庭裁判所での奮闘を紐解いていく。初の家庭裁判所所長として5000人超の少年少女を導き、「家庭裁判所の母」として、八面六臂の活躍をしてきた嘉子。ドラマの展開の先読みになる部分もあるが、史実ではどうだったのを知ることでよりドラマへの理解が深まるはずだ。
アメリカの家庭裁判所を視察。リアルに違いを実感
昭和25年、嘉子は法曹界を代表して、先進地の家庭裁判所を視察するためアメリカに向う。愛息の芳武(ドラマでは娘だが、実際はこの時点で戦病死した夫の間にいたのは息子)は、弟夫妻の元に預けて、嘉子は横浜から船で出発。20日後、ようやくアメリカに到着した。 家庭裁判所の元祖となるアメリカで嘉子は、何人もの女性裁判官の活躍を見た。裁判所の中には女性の利用者が子連れで来所したときに利用できる託児所があることにも驚いたという。アメリカ各地の家庭裁判所巡りは3ヵ月間に及んだ。 多くの知見を吸収して帰国して間もなく、嘉子はメアリー・イースタリングという女性弁護士に会いに行くように言われる。そこには数人の日本人女性法律家も集まっていて、同期の久米愛の姿もあった。「アメリカと同様に日本でも女性法律家の組織を設立してはどうか」というイースタリングの提案を受け、嘉子らは「日本婦人法律家協会」を1950年(昭和25年)に発足。 日本婦人法律家協会の初代会長には久米愛、副会長は嘉子が選出された。後に嘉子は会長を引き継いでいる。協会は、原則として政治活動を行わなかったが、法曹界における女性の地位向上につとめ、最高裁判所が女性裁判官の採用に後ろ向きな発言を行った際には、協会の名前で抗議文を出すなどしている。この日本婦人法律家協会(現・日本女性法律家協会)は、当初10人ほどで発足したものの、現在は約900人が会員登録し、活動を続けている。