「わが子」と称した家庭裁判所を去る!? 朝ドラ『虎に翼』寅ちゃんモデルの思い
後進の女性法律家のために、苦しい決断も
日本女性法律家協会の発足と同じころ、嘉子は最高裁判所長官を囲む座談会に参加したのだが、ここで新長官である二代目最高裁判所長官の田中耕太郎の言葉に、耳を疑う事態が起こる。 「女性の裁判官は、女性本来の特性から見て、家庭裁判所の裁判官がふさわしい」 ドラマの寅子なら確実に大声で「はて?」と言いつつ首をかしげるに違いないこのセリフ。史実でも嘉子は到底同意できず、異論を唱えている。 「家庭裁判所裁判官の適性があるかどうかは、個人の特性によるもので、男女の別に決められるものではありません!」 最高裁のトップに向かって異論を唱えるのはかなりの勇気が必要だったと思われるが、嘉子は黙ってはいられなかった。それと同時に「女性裁判官は家庭裁判所の裁判官に」という新長官の考え方に嘉子は強い危機感を覚えたのだ。 嘉子自身、新憲法・新民法制定下で家庭裁判所の立ち上げに加わり、先進的なアメリカの家庭裁判所を現地で視察してきたばかり。家庭裁判所への思い入れはひとしおだったに違いない。だからこそ新長官の田中は、嘉子の能力や経験を買い、家庭裁判所の専門家に育てようと考えての発言だったかもしれない。 自分だけのことを考えれば、思い入れのある家庭裁判所に今後も携わり、草分け的存在になることも決してやぶさかではなかったのではなかろうか。しかし嘉子は、自分のあとに続く後輩の女性裁判官たちの行く末を案じた。「このまま私が家庭裁判所の裁判官になれば、その後の女性裁判官のルートは家庭裁判所だけに限られてしまうのではないか」と危惧したのだ。 昭和24年4月、石渡道子が日本初の女性判事補(経験10年未満の裁判官のこと。10年経験を積むと単独事件を担当できる判事=裁判官となる)になったのに遅れて4ヵ月後に嘉子も女性判事補となる。このとき嘉子は、一度家庭裁判所を離れ、まずは法律によって事件を解決することを基本とする裁判官としての経験を積むため、あえて家庭裁判所ではなく、地方裁判所への異動を希望したのだ。