狼を連れて銀座を散歩し、自宅の庭でハイエナを飼う 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男の生涯(レビュー)
米吉には勝てない
それではなぜ、私たちは犬を飼うのだろう。そんな苦労をしてまで、なぜ犬を? 私の場合、その答えはいたってシンプルで、ただただ、好きなのだ。愛しているのだ、犬という存在のすべてを。人生になくてはならない存在で、可愛くて仕方がない。 犬がいればそれでいい。 とにかく、素晴らしい生き物だと声を大にして言いたい。なんといっても賢い。人間の言葉を理解して行動することが出来るため、犬はここまで優秀なのかと驚かされることが多い。私の愛犬に関して言えば、性格がとても穏やかで、人間に対して友好的だ。私のことは特に好きらしい。 人懐っこい丸い目は常にきらきらと輝き、走れば大きな耳が風になびいて愛らしい。 伸びやかな脚と、力強い尻尾。ビロードのような輝きを持つ被毛。室内でくつろいでいる姿はまるで巨大なぬいぐるみだ。犬という存在の良さを書けば、きりがない。 特に、わが家のハリーは、どこに出しても恥ずかしくない素晴らしい犬だ。今まで何頭も犬を飼い、それぞれ愛してきたけれど、私にとってハリーは特別な存在なのだ。 このようにして、愛犬家は少しも恥じることなく、次から次へと自分の犬に対する賛辞を惜しまない。いや、もしかしたら、ここまで重症なのは私だけかもしれない。私だけかもしれないけれど、そんなことは気にもならない。誰かに呆れられても平気だ。 なぜなら、私はそれだけ自分の犬を愛していて、犬という存在のすべてを大事に思い、それが間違いだとか、ましてや恥ずかしいことだとは考えないからだ。愛犬家とは、堂々と胸を張って、「私は犬が大好きです!」と宣言するような人のことを言うのだと思うし、犬を全力で愛し(時には人間を後回しにしても)、その健康維持に務め、生涯、幸せに暮らすことが出来るよう努力する人のことを言うと信じて疑わない。 私は、自分をそんな愛犬家だと考えていたし、堂々と宣言していた。しかし、本書を読んで私は自信を失いつつある。なぜなら、平岩米吉には勝てない。彼の犬に対する愛情は、愛犬家という言葉では到底収まりきらないほど深い。