狼を連れて銀座を散歩し、自宅の庭でハイエナを飼う 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男の生涯(レビュー)
狼屋敷の奇人先生
大正14年、27歳で結婚。妻となった佐與子は20歳で、結婚後、米吉はよりいっそう連珠に熱中し、29歳で七段に昇段する。昭和2年には長女の由伎子、翌年に長男布士夫が誕生。子どもの誕生に大喜びした米吉は、その育児日記を詳細に記録するようになる。人間という生き物が成長する過程を米吉に見せてくれる子どもたちの存在は、彼を驚かせ、感動させ、子どもの頃から慣れ親しんできた犬という生き物の成長過程を知りたいという、新たな好奇心を米吉にもたらすことになる。 そこで米吉は、多くの犬と暮らすという目標を達成するために、広い土地を探しはじめる。最終的に辿りついたのは、自由が丘の土地だった。昭和4年、自由が丘に家族で移り住んだ。のちに米吉が命名した「白日荘」と呼ばれたこの屋敷で、シェパードをはじめ、狼、ジャッカル、ハイエナといった犬科動物と暮らし、その研究に生涯を捧げることになる。 転居の翌年の昭和5年に「犬科生態研究所」を設立し、研究生活が本格的にスタート。昭和9年、雑誌『動物文学』を創刊した米吉は、白日荘で飼育している様々な犬科動物の姿を読者に伝えることに情熱を燃やした。 本書で魅力的に描かれているのは、米吉が愛した動物たちの白日荘での暮らしぶりである。縞ハイエナのへー坊、シェパードのチム、プッペといった、米吉が愛した動物の生態がいきいきと描かれ、動物好きは大いに心を動かされるだろう。動物たちにつけられた名前も、時代を反映した微笑ましいものだ。 特に、縞ハイエナのへー坊のエピソードは心に残った。凶暴なイメージのあるハイエナという動物を飼おうと思う平岩家の人々の勇気にも驚かされるが、へー坊が若くして命を落とし、悲しみに暮れる一家の様子を読むと、なんと優しい人々だろうと感動する。平岩家は米吉だけではなく、妻も、そして子どもたちも、動物愛護の精神に溢れていたことがわかる。それだけ愛された縞ハイエナが、昭和の時代に自由が丘に生きていたことに感動する。 また、奇人先生と呼ばれた米吉のお茶目で大胆な行動も興味深い。狼を連れて銀座を歩く米吉を想像し、なんと大らかな時代であり、肝の据わった人物なのだろうと愉快な気持ちになる。狼や犬にじゃれつかれて着物の両袖を食いちぎられる米吉の姿も、なんだか愛らしい。