狼を連れて銀座を散歩し、自宅の庭でハイエナを飼う 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男の生涯(レビュー)
人生を決めた狼との出会い
平岩米吉は1897年、江戸時代から続く裕福な竹問屋に生まれた。小さな頃から学業は優秀で、家業の業務を完璧にこなすほどであり、神童と呼ばれていた。そんな米吉が幼い頃に出会った物語が、乳母によってくりかえし語り聞かされた、曲亭馬琴による『椿説弓張月』だ。 登場するのは弓の名手、源為朝。山中を歩いていた為朝が、激しく争う2匹の狼の仔に出会い、命の大切さを説く。狼は互いの血を舐め、為朝に頭を下げる。為朝を慕い、とうとう家までついてきた2頭の狼を、山雄と野風と命名した為朝は、まるで犬を飼うように狼を育てた。狼が登場するのはこの長編活劇ドラマの冒頭部分だけだったが、米吉は、何度も繰り返し読むよう乳母にせがんだという。米吉にとってこの物語が、犬科動物研究への道を進む原点となったのは興味深い。 生家の広大な庭で、米吉は多くの生き物と触れあう機会を得て育った。当時飼われていた数頭の犬たちは、米吉の動物への興味を深めてくれた存在であり、愛情を注ぐ対象だった。同じく動物を愛する父・甚助によって米吉に与えられた、「生き物を自然のままに受け入れる」という環境が、動物への深い愛情を米吉のなかに育んだことは想像に難くない。 そして、米吉が興味を抱いたのは、動物だけではなかった。乳母が教えた五目並べに夢中になり、大人でもかなわないほどの腕前となったのだ。米吉の父・甚助もまた、将棋をこよなく愛し、棋士としての将来を有望視されるほどの腕前を持つ人物で、家業を大きく繁盛させるほど優秀な商売人でもあった。数値に強い興味を抱いていたという米吉の才能は、父・甚助から受け継いだものが多かったことが窺える。 米吉は短歌への造詣も深く、18歳になるまでには新聞の短歌欄の常連入賞者となっていた。同じ時期に熱中していたのが「連珠」という競技で、勝負の世界で生きていく決意をするまでに上達し、情熱を傾けるようになる。面白いと感じたものにはとことん人生を賭ける、米吉らしいエピソードだと言える。