性虐待の被害を文章にするのは桁違いにハードルが高かった。勇気を出して書いたことで「相手がおかしいよ」と複数人に言われ、ようやく呪縛が解けた
◆「何に傷つくか」を決めるのは自分 長男の習い事、PTA役員、次男の送迎、家事全般。合間にイレギュラーに発生するあれこれをこなしつつ、日中は内職もした。元夫には「焼け石に水」と止められたが、私はそれを無視した。離婚するなら、少しでも貯金が必要だ。そんな意識が、頭の片隅でうごめいていた。 文章を書く中でつながった友人たちは、みな例外なく元夫の暴言に憤った。両親の虐待にとどまらず、元夫から吐かれた屈辱的な台詞を文章にするたび、大勢が「それはおかしい」と言ってくれた。中でも、元夫の常套句である「それぐらいで傷つくお前がおかしい」に対しては、相当数の批判が殺到した。 「それを決めるのは夫さんじゃないでしょう!」 私が「何に傷つく」のか、「何に憤る」のか。それを決められるのは私自身だけなのだと、周囲の声を受けて思えるようになった。自分の感情を自分で決める選択肢さえ剥奪されていたのだと、ようやくそれに気付けた頃、彼との結婚生活は10年以上が経過していた。 子育てと同じく、DVやモラハラには洗脳に近い要素がある。「お前に問題がある」と言われ続けると、それがどんなに理不尽な言い分だとしても、「そうかもしれない」と思ってしまう。そうなれば、周囲に相談することは難しい。 私はたまたま、書く活動を通して「それは相手がおかしいよ」と複数人に言われ、ようやく呪縛が解けた。あのとき、表で書きはじめていなければ、私はまだあの人と生活を共にしていただろう。
◆「書く」を「仕事」にする難しさ 書いて、読んでを繰り返す日々は、私に生き甲斐をもたらした。何も持っていない私でも、文章を通して人と心を通わせられる。それは至上の喜びで、生まれてはじめて自分の存在価値を認めてもらえたような気がした。集まれば誰かの悪口大会がはじまるママ友コミュニティのランチより、スマホの向こうにいる信頼できる相手とのテキストコミュニケーションのほうが、よほど私の心を温めた。 互いの文章を読み、感想を伝え合い、それぞれの信念を語り合う。そういう時間はかけがえのないもので、渇き切った心が満たされていくのを感じた。「性虐待」という重い過去を持つ私を、多くの人がフラットに見てくれたのが救いだった。書く時間を捻出するために、睡眠時間と余暇時間をひたすら削った。ただただ夢中で、毎日書いて、毎日読んだ。 どう書いたら虐待被害の実態を伝えられるのか、試行錯誤しながら「書く」を「仕事」にする方法を模索した。当時スマホしか持っていなかった私は、スマホで毎日3,000~5,000字のブログを書き、SNS上に投稿していた。その投稿を200日欠かさず続けたのち、週一更新に切り替えてからは文章の質にこだわった。しかし、何度コンテストに応募しても落選した。 周囲からは実力以上に高い評価をもらえていたため、正直落ち込んだ。コンテストのピックアップ記事には取り上げてもらえるのに、どうしても入賞できない。自分の実力のなさを棚に上げて、「私の作品はテーマがセンシティブだからはじかれる」と思うことで逃げていた時期もあった。でも、どこかで気づいていた。自分の実力が足りていないことにも、行動力が足りていないことにも。 ブログは何度かバズったが、それが仕事につながることは一度もなかった。受け身の姿勢で生き抜けるほど甘い世界ではないのだと、仕事で書けるようになった今ならよくわかる。だが、当時の私はいつまでもグズグズと待っていただけだった。誰かに拾い上げてもらえるのを、安全な場所でじっと待つ。そういう甘えが、文章にも滲んでいたのだと思う。