大炎上した「挨拶しない自由」の議論が、10年後には「消滅する」と言えるワケ
職場などにおいて「挨拶しない自由がある」という意見がネットで大炎上した。職場でのカルチャーギャップに関する話題は、日本社会では定番と言えるものだが、もしかすると今後はあまり耳にしなくなってしまうかもしれない。その理由は、語られるカルチャーギャップの大半が日本型雇用に起因しており、政府や財界が本気で見直しに着手しているからだ。 【写真】植田日銀総裁に「経済学の大天才」が噛みついた!衝撃の中身
日本の雇用制度と関係がある
議論の発端は、約2年前にインターネットテレビ局で放送された内容である。番組内でインタビューを受けた人物が「挨拶するしないの基準は人によってバラバラなので、挨拶しない自由もある」といった趣旨の発言を行った。これがどういうわけか、今になってネットで拡散し大炎上となった。 本人は、挨拶の重要性について認識した上での発言としているものの、「挨拶しない自由」という言葉がよほど刺さったのか、ネット上では「挨拶もロクにできないヤツは、仕事などできるわけがない」「挨拶程度のことで他人を判断する方がおかしい」など激論となっている。 職場内でのカルチャーギャップに関する話題は、日本社会ではある種の定番となっており、ヘッドホンをしながら仕事をすることの是非や、新人が電話を取ることの是非、中高年が送ってくるメールの文言など、ネットを中心に定期的に激論となっている。 この手の話は諸外国でも見られるものだが、日本での関心度合いはとりわけ高いように見受けられる。一連の話題が多くの人の心に刺さることと、日本の雇用制度には密接な関係がある。
日本の雇用環境は「ムラ社会」
例えば、挨拶ひとつを例にとってみても、基本的に挨拶をするしないは本人の自由に決まっている。だが、職場で他人に挨拶しない場合、 相手が不快に思う可能性は極めて高く、本人の評価が下がるのもほぼ確実である。 それでも良いと思うのなら(つまり自身の能力に絶対的な自信があるのなら)挨拶をしなければ良く、逆に人間関係を円滑にして仕事を有利に進めたいのであれば挨拶する、という判断にしかならない。しがたって口角泡を飛ばして議論するようなテーマではないはずである。 日本においては、それではおさまらず「自由なのか、義務なのか」といった激しい議論となる。そうなってしまう最大の理由は、日本の雇用環境では、自身が所属する組織を能動的に選ぶことができず、ある種のムラ社会となっているからである。 近年、ジョブ型雇用、メンバーシップ型雇用というキーワードをよく耳にするようになった。日本ではメンバーシップ型雇用が多く、諸外国はジョブ型雇用が多いと説明されるのだが、これは正しい解説とは言えない。日本以外の国でメンバーシップ型を採用している国はほとんどなく、そもそもメンバーシップ型という概念自体が存在していない。 メンバーシップ型雇用というのは、専門家が作りだした造語であり、20年くらい前までは、ジョブ型、メンバーシップ型などという言葉は存在せず、メンバーシップ型の代わりに「日本型雇用」という言葉がよく使われていた。つまり日本だけが、組織に帰属するということに対して賃金が支払われており、これは非常に特殊な雇用環境といえる。