阪神・淡路大震災で被災した人たちを癒し、「復興のシンボル」に…パンダの「タンタン」の、波乱に満ちた生涯
「赤ちゃんが動いていないぞ!」
だが赤ちゃんの飼育は、ここからが正念場。母親の胎内で十分に成熟せず、小さいまま産み落とされるパンダの赤ちゃんは、体が弱く成長させるのが難しい。 動物園では万全を期すため、出産に合わせ中国のジャイアントパンダ保護研究センターから専門家を迎えることにしていた。ところが出産を控えた5月12日に四川大地震が発生し、専門家の来日は叶わなくなってしまった。小さな命は、育児経験のないタンタンと動物園スタッフの手にゆだねられた。 タンタンは母乳をねだる赤ちゃんを胸の上にのせながら、自分は食事をほとんど取らず世話に打ち込んだ。梅元たちもタンタンの母乳が出なくなった時に備え、パンダの赤ちゃん用の粉ミルクを準備し24時間体制で見守った。 ところが誕生から4日目。事態は急変した。 「赤ちゃんが動いていないぞ!」 さっきまで大きな声で鳴いていた赤ちゃんが、コンクリートの床に横たわり動かない。タンタンも異常を感じ取ったのか、ぺろぺろと必死に赤ちゃんをなめている。神戸の人たちが会えるのを心待ちにしていた赤ちゃんパンダは、短い生涯に幕を閉じた。 赤ちゃんが亡くなった2年後、さらなる悲劇がタンタンを襲う。人工授精のため麻酔をかけていた雄のコウコウの心肺が、突然停止した。赤ちゃん、コウコウと次々に亡くし、動物園に一頭だけ残されたタンタン。その境遇に観覧者たちは心を傷め、より一層タンタンを応援するようになった。このころ、飼育員は梅元と新たに加わった吉田(よしだ)憲一(けんいち)の2人に引き継がれた。二頭の死を間近で見守った梅元は、ある思いを強くした。 ―自分たち飼育員は、動物たちの「命」を預かっている。 動物園は野生と違って、動物が自分の力で生きていくことはできない。動物が元気で過ごせるかどうかは、飼育員の采配が大きな鍵をにぎっている。赤ちゃん、コウコウと立て続けに亡くして、こんどはタンタンまで、なんてことは絶対に許されない。飼育を担当している自分たちが変わらなくてはダメだ。 この後、梅元と吉田はタンタンとともにあるトレーニングに挑むこととなる。そのトレーニングを積んだ先には、パンダにとって不治の病ともいえる心臓疾患との長い戦いが待っていた。 (第2回に続く)
杉浦 大悟(NHK 専任部長)