【内田雅也の追球】「勢いある姿」の光景
全体練習開始前、左翼芝生の上で練習スケジュールの説明があった。野手のベースランニングで二盗のタイム計測を行うと告げていた。 「記録会じゃないからね」と走塁チーフの肩書があるコーチ・筒井壮が話すのが聞こえた。「何も無理する必要はない。今の自分の体の状態に応じて走ればいいから」 高知・安芸での阪神秋季キャンプも中盤。選手たちには疲労もたまっている。競争心が高じ故障につながるのを案じてかブレーキをかけていた。 それでも若い選手にはアピールの場だ。特に俊足が売り物の選手には目立つチャンスである。 ポケットからストップウオッチを出し、手もとで計測しながら眺めていた。一塁からリードをとり、打撃投手がシャドーで投球してスタートし、二塁に滑り込んでいく。3秒86、3秒72、3秒56……と進んでいた。 何人目かの選手が二塁に頭から突っ込んだ。ヘッドスライディングだ。スタンドからわーっと歓声があがった。 手もとを見ると「3秒26」。速い。立ち上がり、背中を見ると「126」。育成選手の福島圭音だった。俊足で今春2月のキャンプでも一時、1軍に呼ばれ、練習試合にも出ていた。1人2回走り最高タイムだった。ヘッドは福島だけだった。 必死なのだろう。ヘッドは故障につながる危険があるとか、タイムが落ちる懸念があるとか、そんなリスクよりも、必死さが勝っていた。 いや、この福島の二盗ヘッドは必死さが表に出た、一つの側面でしかない。ここにいる選手たちは皆、必死なのだ。 それぞれ立場は異なり、それぞれ課題やテーマがあるが、必死なのは変わりない。それは監督・藤川球児も感じている。 監督就任後のミーティングで選手たちに「姿勢」という言葉を訴えた。「姿勢とは勢いのある姿と書く」とし、そんな姿勢を見せてほしいと説いた。キャンプでのテーマは「没頭」としていた。 必死や没頭、そして努力が必ず報われるかと言えばノーだろう。<でも努力しなければ、夢はぜったいに手に入りません>と、作家あさのあつこが『10歳の質問箱』(小学館)で答えている。<ムダになったと思っていた努力が、思わぬところで花をつけ、実を結ぶことがたくさんある>。 必死に没頭したからこそ見える光景、感じる境地があると心に留め置きたい。 =敬称略= (編集委員)