福島につながっておいたほうがいい――CANDLE JUNEが10年の支援活動で見た多重災害の現実
JUNEが10年をかけて福島県でできた仲間もいれば、県外から福島県に連れていった仲間もいる。そして、JUNEの家族もまた彼の活動を支えてきた。 「子どもたちも、月命日の前の日には、『パパ、あした11日だね、気をつけていってらっしゃい』って。何か当たり前になってきてますね。奥さんも、11日はどんなに早い時間でも朝早く起きて、『みなさんによろしく伝えてね』って、送り出してくれる。支援活動がお金になるわけでもないのに、仕事や家族のことをたくさんおこなってくれている奥さんの気持ちを考えると、『何してんだろうな』って、日々、申し訳なさや悔しさもあります。そういう部分が原動力になってるところもありますね。だからこそ、何か形にちゃんとしないとダメだなって気持ちがあります」 JUNEの抱える忸怩(じくじ)たる思い。しかし、それを支えるのは、コロナ禍で自発的に活動してくれるようになった福島の仲間たちの存在だ。彼らとともに未来を切り開こうとしている。 「コロナのタイミングで、福島のメンバーたちが積極的になってくれて。『東京から来れないから、いろいろ確認してきます』とか『学校に行ってメッセージを集めてきます』とか。今までだったら自分が現地に行ってお願いしていたことを、福島のメンバーがやるようになった。だからあんまり今の状況をネガティブに思うことはないですね。LOVE FOR NIPPONは、世間的に盛り上がってるとは言えなくても、仲間になってくれる人は増えてるんです。復興とか平和とかって、『具体的に何?』って、とても表現や評価がされづらいことですが、福島の人たちや県外の人たちが瞬間でも一緒にそう思える時間が持てるようになれたらと。そして、その時間と場所をもっと生み出すことができたら、ってこれからも続けていきます」
--- CANDLE JUNE(キャンドル・ジュン) 1974年生まれ。1994年からキャンドル制作を開始し、その後、「FUJI ROCK FESTIVAL」などの空間演出を手掛けていく。2001年原爆の残り火である「平和の火」を広島で灯してからは世界各地の悲しみの場所を灯す旅「Candle Odyssey」をスタート。2004年の新潟県中越地震発生後、被災地支援を開始。2010年のハイチ地震を受けて「LOVE FOR HAITI」を立ち上げ、2011年の東日本大震災を機に「LOVE FOR NIPPON」の活動を主宰する。以降、福島県を中心とした支援活動を続けている。 (取材・文/宗像明将)