福島につながっておいたほうがいい――CANDLE JUNEが10年の支援活動で見た多重災害の現実
JUNEは、2004年の新潟県中越地震を受けて、被災地支援を開始。2010年には、ハイチ地震の発生を受けて、MINMIや若旦那(湘南乃風)とともに支援プロジェクト「LOVE FOR HAITI」を立ち上げた。「悲しみが生まれた時にその場所にたくさんの愛が集まるクセをつけよう」。被災地を訪れたり、義援金を集めたりする支援活動について、ENECTのインタビューでJUNEはそう語っていた。 「やっぱり現場に行って、いろんなリアリティーに接すれば接するほど、誰かを敵にすることで、また新たな憎しみが生まれるって構造もわかってきたんです。『NO』と言うよりは『YES』って言うことで変わっていくほうが自然だし、負荷もない。戦争やテロは、非現実的って思ってる日本人がたくさんいるから、災害大国日本では、災害からの悲しみを憎しみに変えず喜びに変える、っていう癖をつけていくことができればいいなって考えました」
東日本大震災を受けてLOVE FOR NIPPONを立ち上げた当初は、福島県、宮城県、岩手県で活動していたが、発災から3年目からは「原発事故の収束まで、何とかお付き合いしたい」と福島県での活動に絞りこんでいった。今、その手ごたえを感じているという。 「福島の仲間たちも『10年間、JUNEさん来ていてくれてるし、一緒にやらせてください』って言ってくれて、今、少しずつ福島で暮らす『支部長』が増えてるんですね。CANDLE JUNEがやってるLOVE FOR NIPPONではなくて、みんなそれぞれのLOVE FOR NIPPONが生まれている。『自分を主語として語れるようになってくれ』って、何年か前から言い始めていたんです。自分が宗教の代表者みたいにならずに、いろんな人たちが、そういう癖をつけていくことができれば変わるかなって思うんです」
福島へのモヤモヤ度が高い人を現地に連れていく
JUNEは積極的に、福島県について興味がある人々を新たに連れていくという。福島県の人々が抱え込んでいるものを解き放つためだ。 「福島では『JUNEさんには話せんだけどね』って言われることが多いし、みんな我慢してるんですよね。『自分よりももっと大変な人がいる、あの人たちに比べたら私は……』っていう感じで、自分たちを表に出していかない。だからこそ、自分が行くことに加えて、新しい人を連れていくってことをしたほうがいいなって考えたんです。日本中に『福島の原発事故って大丈夫なの?』ってモヤモヤしている人はたくさんいると思います。そのモヤモヤを解決するためには、新聞とかテレビとかネットで見るニュースじゃなくて、リアリティーのある福島の引き出しをそれぞれに作るために、『じゃあ、よかったら一緒に行こうか』って、モヤモヤ度が高い人を連れていくようにしていて。震災から6、7年からは、そうすることがむしろ一番の支援になってる。福島の人は、支援活動団体も減ったと感じていて、『もうJUNEさんとこだけだよ、こんなことしてくれんのは』と言います。そこに新しい人を連れていくと、福島の人たち、話したいんですよね。それぞれが映画になってもおかしくないような体験をしているから、興味を持って聞いてくれる人が欲しいんじゃないかな」