廃車の天国 米巨大ジャンクヤードで見つけた「お宝」 40選 前編 日本車も多数発見
ビュイック・インヴィクタ(1963年)
1963年に販売されたビュイック・インヴィクタはわずか3495台で、他の部品取り車が見つかる可能性は限りなく低い。 ラテン語で「無敵」を意味するインヴィクタの名がビュイックのラインナップに初めて登場したのは1959年のこと。ルセーバーをベースに大排気量エンジンを搭載したインヴィクタは、当初さまざまなボディスタイルで提供された。しかし、1963年までにはほとんどがワイルドキャットに置き換えられ、ステーションワゴンのインヴィクタだけが残った。
オールズモビル・トロネード(1980年代)
この1980年代初頭に生産されたオールズモビル・トロネードは、2002年に現役を引退している。第3世代(1979~1985年)のモデルで、前世代よりもかなり小型化されている。ガソリンエンジン仕様に加え、5.7L V8ディーゼルも用意されていた。残念ながらこのエンジンは信頼性が低いことで有名で、オールズモビルの評判を大きく傷つけた。
ポンティアック・サンバードGT
コンバーチブルはハードトップよりも生存率が高い傾向にあるが、それでもこのポンティアック・サンバードがローナーズにたどり着くのを妨げることはできなかった。写真のGTモデルは1988年と1989年にのみ生産された。 ボディワークはしっかりしていて、隠しヘッドランプも残っているが、ソフトトップはボロボロで、インテリアも痛んでいる。
三菱モンテロ
三菱モンテロが初めて米国のショールームに姿を現した1983年当時、SUVというジャンルはまだ黎明期にあった。最初の6年間は2ドアモデルのみが提供され、1989年に4ドアが登場した。世界のほとんどの地域では「パジェロ」として知られているが、一部のスペイン語圏の市場ではあまり好ましい響きではなく、モンテロあるいは「ショーグン」として販売された。
オペル・オリンピア・レコルト
1953年から1957年にかけて生産された2ドアのオペル・オリンピア・レコルトは、ドイツで2番目に売れる人気車だったが、それでもフォルクスワーゲン・ビートルに2対1の割合で負けていた。デトロイト風のスタイリングで、質素な米国の消費者にも人気があった。何十年もの間、このヤードに放置されていたにもかかわらず、部品はあまり出ていないようだ。