寝袋の中で「今夜いよいよ死ぬかも」 ますます激しくなるガザの空爆に日本人医師の覚悟と葛藤
昨年10月7日、イスラム組織ハマスによる攻撃への報復として、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃が始まって1年。いまも攻撃は続き、これまでに4万人を超える犠牲者が出ている。さらに、食糧不足や衛生面の悪化など人びとの生活状況は深刻だ。昨年10月の攻撃後に届いた派遣要請に応じ、11~12月にガザに入った国境なき医師団(MSF)日本の会長で救急医・麻酔科医の中嶋優子さんは、帰任後も取材や講演等で現地の状況を証言し、停戦を訴え続けている。当時の日記をもとに、全10回の連載で現地の状況を伝える。 【写真】ガザ地区南部の病院で治療を受けるパレスチナ人の赤ちゃん。 * * * 停戦期間が終了した12月1日、朝から爆撃が再開した。 ----- 《12月1日の日記から》 今日朝7時で停戦終わり……7時数分すぎにはドローンとか爆撃とか聞こえてきた。ドローンってこんなにうるさかったっけ。 ニワトリは今朝は5時から鳴いていた。昨日は7時すぎまで鳴かなくて一瞬喰われたんじゃないかと思ったけど、ちょっと安心。 朝、子どもたちに見つかり、またたき火のところに連れて行かれ、お絵かきタイムした。朝ミルクティーをもらって病院に出勤すると、シファ病院から避難してきた麻酔科医が新しく来ていた。まず緊急用にラボ近くのMSFのWi-Fiにつながるようにした。ER(救急救命室)にまず9時くらいに行ったら、早速空爆で患者さんの波が来ていた。 相変わらずのひどい熱傷とか骨折とか頭部外傷とか。よりによってひとつしかないCTが壊れてて赤十字国際委員会(ICRC)のヨーロピアン病院にCT撮りに患者さんを送らないといけなかったが、意外に救急隊との連携が機能しており、搬送できた。私が今日手伝ったのは挿管とかエコーとか人工呼吸器設定とか血圧低下の対応とか。自分のMSFベストもスクラブ(医療用白衣)もだいぶ汚れた。 重傷頭部外傷の子どもは、近くにできたヨルダン仮設病院に送ってた。3時間くらいでERのmass casualty(大量の負傷者)の患者さんがみんなさばけたので手術室に戻ったら、退避勧告のビラがハンユニスに撒かれた、との通知が日本大使館から来てた。緊急で避難しないといけない状況かもしれないので早く皆に知らせないと。MSF チームメンバーにすぐに連絡をして手術室のスタッフに言ったら心配そうだった。ICU(集中治療室)に居てきっと電波が無く情報がいっていないイギリス人小児集中治療医の同僚に直々に伝えに行った。病院で地響をを感じる近くでの空爆が何回かあった。今日は現地スタッフも戦々恐々としていた。 (略)