【名馬列伝】ライアン、マックイーンの同牧場同期に劣らぬ個性派メジロパーマー。障害入り試みるも、訪れた“相思相愛”ジョッキーと運命の出会い<前編>
伸び悩んでいた若手騎手と運命の出会い
6歳となった1992年。3月のコーラルステークス(オープン特別)を4着とした後、メジロパーマーは運命の騎手と出会う。当時21歳だった山田泰誠である。 ここまで重賞は未勝利で、勝ち鞍も前年は12勝と伸び悩んでいた。厳しい言い方をすると、彼が鞍上に起用されたのは、メジロパーマーが大望をかけられない存在と見られていたからであろう。 初コンビとなった天皇賞(春)は外連味のない逃げを打ったものの、最後はバテてメジロマックイーンに2秒9差で離された7着に敗れた。ところが次走に選ばれた新潟大賞典(GⅢ)で一変。54キロという恵まれたハンデも活かしてスタートからグイグイと飛ばし、後続に影をも踏ませぬ逃げ切りで2着に4馬身差をつけて完勝を飾ったのだから驚いた。 この勝利後だったが、筆者はとある件でライターをともなって大久保正陽の厩舎を訪ねていた。その取材の最中、戸がノックされて「失礼します。山田泰誠です」という挨拶があった。大久保はしばし取材を中断し、山田を建物に招き入れてこう言った。 「君はパーマーとどうも手が合うようやから、次も乗ってくれるか」 山田は緊張した表情を崩さず、「ありがとうございます」と頭を深く下げ、厩舎をあとにした。これが続く宝塚記念(GⅠ)への騎乗依頼だと気が付いたのは、しばらく経ってからのことである。(文中敬称略)<後編に続く> 文●三好達彦