都市論、建築論的に解釈する「鎌倉殿の13人」
物語は清流、歴史は濁流
京都から見た鎌倉幕府のイメージには、それまで文明の外にあった夷狄すなわち蛮人として蔑み、抑えつけ、農民あるいは軍人(防人)として使役してきた人々が、ついに「革命」ともいうべき独立の意志をもって立ち上がった、という不気味さがあった。 そして世界の革命を振り返れば、そこに粛清はつきものである。 歴史の女神は、古い権力が倒されて新しい権力が樹立されるまでに、革命戦という武力の戦いと、粛清という陰謀の戦いによって、多くの血が流されることを要求するのだ。北条氏とは、自ら命を張って勇猛に戦闘を勝ち抜いたのではなく、その粛清を狡猾に生き抜いた一族である。 それにしても『平家物語』の美しさは何であろう。平氏に象徴される貴族文化の滅びの美学と、新興勢力たる関東武士団の実力の美学がともに表現され、醜い粛清には背を向けている。信濃前司行長という人物が作者に擬せられるが、むしろ盲目の琵琶法師によって語り継がれてきた、生き生きとした哀切がわれわれの心に染みるのであり、能の謡いや歌舞伎の科白と同様に「かたり」の積み重ねがつくりあげた文学というべきではないか。三谷幸喜の天分をもってしても、この日本文化の至宝がもつ美しさには及ばない。 物語は清流である。歴史は濁流である。