国家を束ねる「正統性」を失った指導者が増えたのはなぜか、21世紀はますます混乱を深める
東西対決は、大戦争を引き起こし、大混乱を引き起こすかもしれない。それを避ける方法はあるのか。 マアルーフは、その例として19世紀から現在に至る100年以上にわたるアラブ諸国の混乱の問題をあげている。オスマントルコ帝国の崩壊とともに、東の世界であるアラブ諸国は大混乱の時代を迎える。帝国の崩壊は、正統性の崩壊だったというのである。 ■アラブ諸国・混乱の100年 ものごとが秩序立てられるには、その秩序をつくりあげている価値規範に正統性が付与されねばならない。正統性は、金や、権力や、名声などによって決まるものではなく、にじみ出る信頼によって決まるものだという。
「正統性というもののおかげで、集団および個々人は過度の制約を感じることなく制度的な権威を受け入れるようになります――。権威は人格化され、共有された諸価値を保持する存在とみなされるのです」(前掲書、97ページ) 17世紀から19世紀にかけてのヨーロッパの絶対王政は、その正統性を失い、人民主権という正統性がその座につくのだが、そこにはその正統性をめぐる一筋縄にはいかない問題があったわけだ。 西欧化の中で既存の制度が崩壊していった幕末の日本の場合も同じで、幕末の時代の勤皇の志士たちは、日本という国の正統性を体現するものを最終的には天皇制に求めたわけだ。
尊皇という概念が存在したことで、国民はばらばらにならず、幕藩体制の崩壊、近代化の始まりになんとか対応できたともいえる。 しかし、ほとんどの民族がそうだったわけではない。とりわけ西欧の近隣であるオスマン帝国の崩壊は、西欧とロシアによる巨大帝国領の争奪戦に変わり、なんとか縮小することでトルコを維持できたケマル・アタテュルクのトルコを除き、植民地化とアイデンティティの喪失に遭遇した。 そのため、誰が正統性を担うのかという問題がつねに浮上しては消え、やがて失望に変わり、西欧的価値規範を実践することもできず、混乱の巷と化した。