新しい文化のつくりかた:異彩作家とヘラルボニーの挑戦
企業はSDGsからマーケ視点にシフト
「ニューヨークで開催される『アウトサイダー・アート・フェア』に行ってチラシを配ったり、息子が描いた作品をインスタに載せているご夫婦のアカウントにメッセージを送ったり。ぜんぜんスマートじゃないですが、世界の作家と連携したかった」(崇弥) そのかいあって、応募作品のうち約4分の1にあたる468点が海外からの作品に。欧米をはじめ、エチオピア、チリ、トンガ、タイと、国もバラエティに富んでいる。 国際アートアワードの名にふさわしい応募のなかでグランプリを獲得したのは、浅野春香の「ヒョウカ」だ。アートとしての評価は見る者に委ねるしかないが、崇弥はこれまでの活動に重ね合わせてこう語った。 「障害のある作家は『無欲』『ピュア』といわれやすい。でも、誰だって褒められたいし、そうした欲をもつのも当然の権利。そう考えて事業をやっていたところに、浅野さんが『ヒョウカ』と名づけた作品がグランプリに輝いた。本当に偶然で驚きましたが、象徴的だと思いました」 ■企業はSDGsからマーケ視点にシフト 障害があろうとなかろうと人は人。松田兄弟が自然にそう考えるのは、4歳上の兄、翔太の存在が大きい。翔太は重度の知的障害を伴う自閉症がある。人と違う動きで周囲を驚かすこともあったが、ふたりにとってはただの「面白い兄貴」だった。 中学のときは知的障害がある人をばかにする友達らにおもねり、兄の存在を隠そうとしたこともあった。ふたりにとっては黒歴史だ。しかし葛藤を経験したからこそ、障害がある人を良くも悪くも特別視する社会への怒りを明確に意識するようになった。 アクションを起こしたのは社会人になってから。東京の広告代理店で働いていた崇弥は、地元の岩手に帰省中、母に誘われて、障害がある作家のアートを展示する「るんびにい美術館」に。作品のレベルの高さに衝撃を受けた。 「地元で就職した文登にすぐ『何かできないか』と相談しました。障害がある人が施設で5時間をかけて革細工をつくっても、道の駅でひとつ500円です。でも、アートならその壁を壊せる予感がしました。アートの世界では草間彌生さんや村上隆さんの作品がIP化されて企業とコラボレーションしていた。素晴らしい作品なら、同じようなことができるはずだと」 最初は副業でオリジナルブランドを立ち上げて、契約作家の作品をつかったネクタイを販売した。18年にヘラルボニーを創業。「ヘラルボニー」は、兄の翔太が小学生のころに日記帳に書き連ねていた謎の言葉である。