【予想スタメン】日本代表、きょう敵地で中国戦…相手は欠場者続出も連勝中。入れ替えは右WBと2シャドーの一角?
日本代表は19日、2026年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選第6節で中国代表とアウェイ・厦門白鷺体育場で対戦する。中国は欠場者が続出? 連戦の中でメンバーの入れ替えは?【取材・文=河治良幸】 日本代表、中国戦のスタメン発表!
■最終予選、後半戦へ。中国は欠場者続出も連勝中
日本代表は最終予選の6試合目で中国と対戦する。現在、4勝1分の勝ち点13で、2位に勝ち点7差をつけている"森保ジャパン"にとって、アウェーの地で中国に勝利しても、予選突破が確定するわけではないが、来年に予定される残り4試合の戦いに向けて、かなりのアドバンテージを取れる。中国は埼玉スタジアム2002での初戦で日本に0-7と大敗し、同試合を含めて3連敗を喫した後、連勝で巻き返してオーストラリア、サウジアラビアと同じ勝ち点6の4位まで浮上してきた。 戦力面ではエースのウー・レイが負傷、ここに来て前線で存在感を高めていたウイグル出身の長身FWバイヘラム・アブドゥワイリがバーレーン戦の累積警告で出場停止となるなど、非常に苦しいチーム事情にあるが、ブランコ・イバンコビッチ監督の手腕が徐々に発揮される形で立て直してきており、油断は大敵だ。
■アウェイ連戦。右WBと2シャドーの一角はメンバー変更か
森保監督がここで大きな冒険に出ることは考えにくい。ただし、4-0で勝利した敵地・ジャカルタでのインドネシア戦から中3日、過酷な天候とピッチコンディションでの一戦だったこともあり、主力のコンディションを見ながら必要に応じたスタメン変更はしてくるはず。そこで比較的、入れ替えをしやすいポジションが、右ウイングバックと2シャドーの一角だ。 前者はこれまで全ての試合でスタートが堂安律(フライブルク)、後半から伊東純也(スタッド・ランス)という"Wレギュラー"のような形で使い分けているが、サウジアラビア戦では途中から堂安がシャドーに移り、伊東がウイングバックに入ることで、右サイドに並び立った。インドネシア戦では後半途中から菅原由勢(サウサンプトン)が右ウイングバックに投入されて、伊東は初めて右シャドーでプレーしている。堂安と伊東の二者択一だったところに、菅原が候補として台頭したことは大きいが、堂安からスタメンの入れ替わりがあるとすれば伊東か。 2シャドーは引き続き、南野拓実(モナコ)が軸と想定できる。インドネシア戦では鎌田大地(クリスタル・パレス)と組んだが、2-0とリードしたハーフタイムに、前田大然(セルティック)との交代で退き、その後は三笘薫(ブライトン)が左ウイングバックから左シャドーに周り、鎌田は左シャドーから右にシフト。伊東が右シャドーに入ると再び左にポジションを移し、終盤に旗手怜央(セルティック)と交代している。一方で久保建英(レアル・ソシエダ)はインドネシア戦でプレーの機会がなかった。ここまで久保はホームの中国戦とオーストラリア戦でスタメン起用されたが、アウェーでのスタメンがあるかどうか。 久保の実力をここで説明する必要もないが、[3-4-2-1]のメカニズムを考えたときに、2シャドーを南野と鎌田が組む形が、ボランチの関係性とマッチしていることも確かだ。遠藤航(リヴァプール)が中央に構えてバランスを取り、守田英正(スポルティング)が幅広く関わって、タイミングよくゴール前に攻め上がる構図になっているが、鎌田が中盤に引いてボールを捌くことで、守田がライン間で前向きに絡む。その二人を左センターバックの町田浩樹(サンジロワワーズ)がサポートするメカニズムが確立されてきているのだ。ただ、戦術的に機能しているからといって、固定的なユニットに頼りすぎるのが危険であることは過去の代表チームで示されている。 オーストラリア戦では遠藤がコンディション不良で欠場し、代わりにスタメンを務めた田中碧(リーズ・ユナイテッド)と守田の役割分担が曖昧になったことで、相手のブロックの外側でボールを回す時間が増えすぎて、結果的に久保をインサイドでうまく使えなかった。久保も引いてボールを持つことはできるが、基本的に鎌田より前めのポジションでチャンスに絡むシーンを増やしたいだろう。もしかしたら、ここで鎌田と久保のセットをチョイスするかもしれないが、南野は1トップの小川航基(NEC)の守備を幅広く助ける意味で、戦術的な効果が大きい。改めて遠藤と守田がボランチに揃った状況で、久保と南野のセットで行くのか、あるいは組み合わせに変化を付けていくのかは中国戦の注目ポイントの1つだ。左ウイングバックはインドネシア戦でも先発した三笘を第一候補として、中村敬斗(スタッド・ランス)もスタメンで高いパフォーマンスを見せることは可能だろう。前田も有力な選択肢だが、流れを変えるためのカードとして取っておくプランを森保監督は継続するのではないか。