竹中直人さんらも通った!文化人御用達、老舗喫茶店看板メニューの誕生秘話 東京・国分寺『ほんやら洞』の名物カレーはこうして生まれた
東京のJR中央線「国分寺駅」から徒歩3分の場所に蔦で覆われたレトロな雰囲気の喫茶店『ほんやら洞』(東京都国分寺市)がある。京都にルーツを持ち、この地で40年以上続く老舗喫茶店である。名だたる文化人が集ったことでも有名だ。筆者は看板メニューの「スパイシーチキンカレー」の魅力にとりつかれて以来、かれこれ15年ほど通い続けている。今では誰もが知る人気メニューだが、聞けば店の歴史を語る上でも欠かせない、変革期に生まれた料理だという。そこには一体どんなストーリーがあったのか。タイプスリップした気分でその背景に迫る。 【画像】前のオーナーだった中山ラビ、緑に包まれた国分寺『ほんやら洞』
京都で誕生した文化人が集うカウンターカルチャーの拠点
1972(昭和47)年に京都で生まれた『ほんやら洞』は、「文化人のコミュニティを作りたい」という想いから生まれた喫茶店だった。立ち上げに関わったのは、発起人の早川正洋を中心として、社会心理学者の中尾ハジメ、シンガー・ソングライターの岡林信康、文筆家の室(むろ)謙二、写真家の甲斐扶佐義(かい・ふさよし)、フォークシンガーの古川豪、そして国分寺のほんやら洞が今日まで続く縁を作ることとなる翻訳家の中山容(よう、1931~97年)まさに時代をけん引するような面々であった。 店には多くの音楽家や芸術家、詩人などが集まった。2階にはライブラリー兼会議室として設けられたスペースもあり、文化人のミーティングや芸術家の個展、ライブや詩の朗読会も行われていたそうだ。そこでの成功体験をもとに創設者の早川が「東京にも文化基地を作りたい」と、1975(昭和50)年に近隣の学生と手弁当で立ち上げたのが、今も続く国分寺の『ほんやら洞』だった。
「女ボブ・ディラン」が国分寺のお店を受け継いだ
1977(昭和52)年から国分寺のオーナーとして店を引き継いだのは、2021年7月に72歳で亡くなったシンガー・ソングライターの中山ラビである。1972年に、ボブ・ディランの曲を歌ってデビューした「女ボブ・ディラン」とも呼ばれた人物。TBSドラマ『結婚前夜シリーズ』(1976年)やNHKドラマ『小夜子の駅』(1976年)の主題歌を手がけたことで知られる。 当時はニッポン放送の深夜番組『真夜中のスケッチ』のパーソナリティーも務め、人気を集めていたが、京都の店の常連客だったことから「店を買い取ってほしい」と早川に頼まれ、芸能人で飲食を始める人も少なくなかったこともあって、その役割を引き受けたそうだ。京都からの流れを汲んで、店には音楽家や芸術家、ヒッピーなども集まり、俳優や映画監督などマルチに活躍する竹中直人、ロックバンド「BUCK-TICK」の櫻井敦司も常連だった。