来年の抱負は?私欲で生きる人にならない「幸せな目標」の作り方とは
次にバトンを渡す意識がありますか、という話です。既得権益しか考えていない人に邪魔をされて未来が死んでいくことに、大人である私たちが危機感を持たなければいけません。 政治も似たような構図です。たった一票では何も変わらないと思うかもしれない。けれど、若い世代が投じたその一票は、10年後や20年後に「若い世代も当たり前に投票する」「当たり前に政治を考える」世界につながっているかもしれないのです。それも、持続性のある目標のために必要なアクションです。 とはいえ、「自分以外のためにやりたいこと」を見つけましょうと言っても、ほとんどの人は難しいと答えるでしょう。生き方も考え方も人それぞれですし、気付くきっかけがないままの人も大勢います。なので、まずは世の中を俯瞰して見ることから始めてほしいと思います。 毎日のように、世の中には悪いニュースがあふれています。とても聞いていられないような、心が痛むような事実を知るのはつらいことです。しかし、そのネガティブな出来事から目を背けてしまうと、「こんなんじゃダメだ!」という、反骨心のような思いは生まれません。 ワクワクするニュースに囲まれて、そこから世の中を俯瞰して見られるのであれば良いです。けれど、それが難しいのであれば、自分にとって都合が悪い出来事を反面教師にして、少しずつ社会的な問題に意識を向けていくしかありません。 「お金になるかならないか」は、生きるためには大切なことです。ただ、それ以上に「お金以外の意義があるか」はもっと大切なこと。稼ぎ続けて、この世を去るときに1億円あっても、自分がそれを使うことはできません。残したお金は、寿命という期限とともに意味を失います。 自分がいなくなった後の世界に残るのは、それを生きる人たちへの道しるべ。大金は、使い方がわからない人にとっては毒にも薬にもなり得るのです。 ● 今の自分に得はなくても 他人が捨てたゴミを拾う人になれるか この先の自分の「生きがい」や「やりがい」についていろいろなことを考えてはいるけれど、それが合っているかわからないという人も多いかもしれません。 自分の得意と、人の役に立てることをかけ算して、それがやりたいことになればベストです。そのためには、そのとき得をしなくても、後につながることを見つけてほしいと思います。 ゴミを道端に捨てる人は、後の人が拾えばいいと身勝手な生き方をする人です。そのゴミを拾うかどうかは、後ろを歩く人に委ねられてしまう。 そのゴミは、誰かが拾わなければ落ちたまま残り続けます。自分が捨てたゴミではなくても、それを誰かが拾った後を歩く人たちは、ようやくゴミを見て歩かなくてよくなります。 一つのゴミを拾ったことで、後に続く無数の人たちにプラスの影響をもたらした。それは、「自分はそれができる人間なんだ」という自尊心にもつながります。 「ゴミを捨てる人」「捨てはしないけれど、得しないから拾わない人」「今、別に得はしないけれど、他人が捨てたゴミでも拾う人」――。皆さんはどのような人間になりたいと願うでしょうか。 「自分が通った後の道は汚くてもいい」と考える人が少しでも減れば、社会は持続性を高められ、未来も今も、もっと良くなっていくでしょう。 今年も終わります。未来への貢献、持続可能な「期限のない目標」という観点で、将来を考えてみてはいかがでしょうか。
和田裕美