認知症の人は、なぜ出て行ってしまうことがあるのか?...家族だからこそ理解できた、ウラにある本当の「想い」
「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第31回 『アルツハイマー病の方から“すらすらと”言葉を引き出す会話術!病状を理解して歩み寄る、その話し方とは』より続く
認知症の夫の意外な癖とは
彼の「いやだ」という気持ち。私はそれを、肌身で感じていました。 晋は、ちょっと腹が立ったり、気に障ることがあると、いつのまにか家を飛び出していくことがあったのです。 最初は沖縄でした。移り住んだばかりで、まだ西も東もわからないのに、夜、真っ暗ななか出て行ったことがあります。 さがしに行きたいとは思いますが、土地勘がない……。うかつに出たら私自身、迷子になりかねません。 だから私は家に留まるのですが、さがしに行かなければ行かないで、心配が募ります。 不安を抱えたまま、私は不用なセーターで人形を作りながら、心のなかでは晋の安全を祈りながら、待つしかありませんでした。 そうして、1~2時間もたったでしょうか。 気がまぎれたのか、ご機嫌な晋が無事に帰ってきたときは、思わず肩の力が抜けました。
夫が用いた衝撃的な帰宅手段とは
栃木の自宅に戻ってからも、晋はよく出て行きました。 子どもたちに勧められてGPSを導入し、追跡できるようにしたのですが、私たちが住んでいるのは、目印になる建物もろくにない田舎です。車でさがしても見つかりません。どうしようもなくなって家に帰ると、なんと、晋がいるではありませんか。驚いて、 「どうやって帰ってきたのよ」 と尋ねると、 「いやあ、途中でヒッチハイクして帰ってきた」 開いた口がふさがりませんでした。 〈何なんだ、この人は〉と反感すら覚えましたが、今になって思えば、晋はフラストレーションを発散するために歩き回っていたのでしょうか。 『元脳外科医が認知症になって知った「発症して失われる力」と、それでも変わらない「大切なもの」』へ続く
若井 克子