錦糸町の大人気「コの字酒場」の店主が紆余曲折しながら身につけた"攻めの姿勢"。「ラストオーダーこそ力を入れるんです」。
■いきなり客足が途絶えた それからの「井のなか」は破竹の勢いだった。開店してから3年半、毎日満席が続いたのだ。もちろん努力は怠らなかった。それまでホールと経営畑の人だったから、料理も並行して学んだ。それも徹底的にしごいてもらった。経営者が雇っている料理人に料理を教わる。ちょっと変わった関係であった。 「ある方は、銀座で料理長をやる話を断ってまで来てくださったんですよ。でも、そりゃあ、厳しかったです。あるときなんか、素材がダメだって、冷蔵庫のなかのもの全部捨てさせられたこともありました。ただ、ほんとうに皆さんよく教えてくださったんですよ。市場に同行してもらって仕入れ方まで手取り足取り」 修行しつつ経営する。いわゆるプレイングマネージャーというのは、すでにプレーヤーとして完成している人がマネージメントをすることだが、工藤さんのケースは、野球未経験の監督が、監督として指示を出しながら、選手になるためにチームメイトに野球を習うようなものである。複雑だ。そんな毎日を、工藤さんは店長として必死に努力し、「井のなか」は瞬く間に名店として知られる存在になった。 ところが、である。 <ここで大きな生牡蠣が卓上におかれた。大ぶりながら、歯触りはむっちりとしていて、クリーミー。端々まで良き磯の香りに満ちていている。そして、ガブリガブリと噛むと、牡蠣の、海の旨いものをすべて詰め込んだような出汁感たっぷりの汁気があふれる。こんな牡蠣みたいな魅力のある人間になりたい......。こういう素材を仕入れる腕前「平井魚政」の大将、流石である> 順風満帆だった「井のなか」だったが、ある夜突然異変がおとずれたという。 「不思議なんですよ。いきなり客足が途絶えたんです。ほんとうに、ふっつりと。流行って、こういうふうに終わるんだ、って思いました。取材の申し込みとかもパタっとなくなるんですよ。怖いですよねえ」
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