錦糸町の大人気「コの字酒場」の店主が紆余曲折しながら身につけた"攻めの姿勢"。「ラストオーダーこそ力を入れるんです」。
■「僕の顔がカエルに似てるから井のなか」 店をやめた工藤さん、理想の居酒屋を開こうと奔走をはじめた......のだが、 「なんだか、ちょっとこわくなっちゃったんですよ」 武者ぶるいがそのまま震えになってしまったのだろうか。サラリーマン時代、香車のように突き進む仕事ぶりだったのが、突然変わってしまった。何をしたらいいのか、急にわからなくなってしまったらしい。猪突猛進型の人ほど独立する時にそんな葛藤のあるのかもしれない。私みたいに、勤めているときから意気地なくぬるぬるしていると、フリーになるときもぬるぬるとなんとなく独立してしまう。 「やっぱり企業が出す店は、駅前とか人の流れの多い良い場所にあったり、仕入れもシステマチックだったりして、一人で営む店のリスクとは比較にならないって、実感し始めて。自分は守られてたな、と思うようになってしまったんですよね」 それからの工藤さんは、 「迷走してました」 と、ふりかえる。知り合いの店を手伝いに行ったり、鰻屋で少し働いてみたり、尊敬する知人の食通の付き人のようなこともした。とにかく、あれこれやった。酒蔵へ行って酒造りの見聞を広めたり、農家へ足を運んだり......。決意が固まるまで2年近くを要したという。大丈夫、私なんか30年迷走してます、と言ったが、そこは流された。 「必要な時間だったのかなと思います。ビビって躊躇(ちゅうちょ)している間も、いろんな人に教えてもらえる機会にめぐまれて。ようやく、よし店を開こうって声に出せたんですよね」 こうして2006年3月31日に「井のなか」は開業した。開店の日付はおつれあいの誕生日であるとともに、前の会社を辞めた日でもある。そこに並々ならぬ決意の深さ、感じるではないか。それに開業日をおつれあいの誕生日にしておけば、うっかり忘れるなんて恐ろしいミスも絶対にないだろう。素晴らしい。 店名はというと、旧知の漫画原作者につけてもらった。 「僕の顔がカエルに似てるから井のなか、っていう。良い名前ですよねえ」 そう聞いて、私は、先日、年老いたマルチーズに似ていると言われたことを思い出した。
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