錦糸町の大人気「コの字酒場」の店主が紆余曲折しながら身につけた"攻めの姿勢"。「ラストオーダーこそ力を入れるんです」。
■店を営んでいて絶対に守っていること そんなとき、工藤さんは店の馴染客たちのふるまいから、なにかをつかんだ、という。 一人は大相撲の力士、高安関だった。 「高安関がお客さんとして来てくれるようになって、いろいろ話す機会にめぐまれたんですが、あの人は、なんでも他人(ひと)のためにやれる人なんですよ。周りの人に怒ったりしない、なにかあっても、誰かのせいになんかしない。これだよなあ、って」 そしてもう一方は落語の笑福亭鶴光師匠。 「師匠もまた、誰かのためにする、っていう姿勢をいつも見せてくれる人なんです。サービス精神とさり気ない心配りに、ああ、僕もちゃんとしなくちゃって思うんです。直接的な言葉でなにか教わってるわけじゃないんですけど、勝手に、僕にとっての理想の上司だなって思って、お二人はじめ尊敬する人たちの写真を店に貼りまくっているんです。この方々に失礼があっちゃいけない、って思えるように」 それで、と工藤さんは今、店を営んでいて絶対に守っていることを教えてくれた。 「ラストオーダーこそ力を入れるって思ってるんです」 ――疲れてても? 「だからこそ、なんですよね。ラストオーダーのとき、そりゃあくたびれているんですけど、それに甘えないというか。その日、一番っていう出来、盛りでラストオーダーにこたえないと、お客さんにとって、食べたいものを食べることに時間帯なんて変わりないし、むしろ、最後に注文したものこそ、いちばん印象に残る。ラストオーダーだからって疲れにかまけて手を抜いてるようじゃダメなんですよ。それで、その日の仕事が決まると思ってます」 「井のなか」の店内にはいろんな写真が飾られている。工藤さんが尊敬する人たちの顔がいっぱいある。その顔に恥じぬよう、工藤さんは、最後の一品まで妥協せずに提供している、わけだ。 <いよいよ「鰻重」がやって来た。ここの鰻は、関東スタイルの蒲焼き。ただ、蒸し加減も焼き加減も絶妙なのだ。ふわふわ、とは鰻の蒲焼の歯触りで巷間でよく耳にする表現だけれど、そのふわふわと小脂が一体化している。だから、ただ柔らかいのではなく、ちゃんと歯触りがあるふわふわ。そして微かな焦げ目でエッジが立った焼き加減は、ちょうどタレがジワリと染み込むと最高の歯触りを生む。香ばしさと汁気たっぷりで小脂の甘さが三位一体となって舌を楽しませる。もちろん酒にもぴったり。この店では鰻重書いて幸福と読む、と言っていいだろう> コロナの悪影響はそれなりに長引いたものの(原作を担当したドラマ『今夜はコの字で』のロケ地巡礼のお客さんなどの効果もあった、と工藤さんは言う。嬉しいかぎり。)徐々に客足は盛り返し、再び店は毎晩、大勢のお客さんがつめかけている。 「ほんとに、人に恵まれてきたな、って思いますね。もう、それにつきるって言ってもいいぐらいですよ」 こう語る工藤さんの朗らかな顔。これは人に恵まれますよ、と言ったら、 「あ、もちろんジャンプさんも」 と、くる。この茶目っ気も、たまらない。この店は、繁盛するわけだ。人についていた客を、今度は店につかせるようにした工藤さん。いま、店と工藤さんは、一心同体になっている。これは盤石だ。 文/加藤ジャンプ
【関連記事】
- ■【店主の休日】「両親がやっていた店の復活」「ふるさとを盛り上げたい」。人との「縁」に誠実に向き合ってきた若大将が巣鴨に居酒屋を立ち上げるまで
- ■【店主の休日】「ここじゃ無理だよ」。横浜のニュータウンで評判の鮨屋の店主が、街行く人に心配されても、この街で鮨屋を開きたかった理由
- ■【店主の休日】「サラリーマンより面白いよ」。門前仲町の若き二代目が、創作居酒屋を継ぐ決意を固めた常連の一言
- ■【店主の休日】「自分の人生、こんなんじゃないはずなのに......」。煮込みの名店の店主が、役者、水商売、トラックドライバーを経て新橋にコの字酒場を開くまで
- ■【店主の休日】「もう無理、首つっちゃうよ」。蕨のやきとり屋の2代目がミュージシャンの道をあきらめ、縁もゆかりもない土地の名店を継ぐまで