旅は、なぜ心を自由にするのか? 2週間の欧州滞在から見えた新たな旅情、移住体験者が語る「距離」が紡ぐ物語とは
旅情を生む「距離」の多面性
確かに、距離は旅情を考える際に適した普遍的な基準のように思える。旅情という言葉の定義にあるように、旅情は旅をする人が感じるものであり、それぞれの感じ方が異なる。時代背景にも影響されるだろう。しかし、旅をする人や時代に関係なく、旅情が距離によって生まれるというのは非常に普遍的な感覚だと感じる。 そして、その距離には物理的な距離だけでなく、 ・精神的な距離 ・時間的な距離 も含まれる。例えば、旅に非日常を感じるとき、物理的な移動距離だけでなく、日常の気持ちからも距離を置くことになる。日常とは異なる時間の過ごし方をすることで、時間的な距離も感じることができる。 そのため、実際に旅行に行かなくても、紀行ものの映像を見たり、読書などを通じて日常から距離を置くとき、いわゆる旅情を感じることがあるのではないだろうか。結局のところ、何らかの形で距離を感じた結果として得られる感情こそが旅情なのかもしれない。 このように納得できる答えが見つかったところでふと考えた。果たして、距離に心が反応して旅情を感じるのだろうか。もしそうなら、もっと多くの距離を越えるほど旅情を感じるはずだ。しかし、距離の多さだけが重要というわけでもないようだ。
旅情の本質を探る心のリセット
ふと、自分の経験を思い出した。 以前、欧州を旅行して、2週間にわたる非日常を体験したことがある。海外旅行はほとんどしたことがなかったが、初めて友人が住む欧州へ個人で旅に出た。日本から遠く離れた地に移動し、初めて目にする景色に心が揺さぶられた。慣れ親しんだ日本文化を離れ、異国の文化に感動し、美味しい料理にも喜びを感じた。まさに、旅情を存分に味わった時間だった。 その後、その旅行の経験が忘れられず、実際にその土地に移住した。すると、最初は新鮮だった異文化や街の景色、美味しい食事も次第に日常になった。理解できなかった言語も、時間が経つにつれて少しずつわかるようになった。そうして、旅行中に感じた旅情は自然と薄れていった。その中で、自分の中に変わらず残った心地よさは、 「人との距離感」 だった。旅行中はいろいろなものに旅情を感じていたと思っていたけれど、実際に自分の心に旅情を与えていたものだけが心に残った。そのことを思い返して出た結論は、旅情の本質とは 「本来喜びや安心を感じさせるものに反応できるよう、自分の心をリセットすることではないか」 ということだ。だからこそ、旅情の感じ方は人それぞれ異なるのだ。