古い世代が「落ちてゆく」のは、若い生命力に「あらがえない」からなのか…最新科学と「700年前の古典」をつなぐ「驚愕の現象」
私達の身の周りは道端の雑草からスーパーに並ぶ野菜まで様々な植物で溢れていますが、よく考えてみると答えがわからない様々な疑問が頭に浮かびます。 【画像】葉っぱの形は、さまざまだけれど…まわりのギザギザは「何のため」なのか そんな植物にまつわる「謎」に第一線で活躍する研究者たちが答えてくれるのが日本植物生理学会WEBサイトの人気コーナー「植物Q&A」です。このたび3000を超える質問の中から厳選された60のQ&Aが1冊の本にまとまり、ブルーバックス『植物の謎 60のQ&Aから見える、強くて緻密な生きざま』として刊行されました! 今回は、収録されたQ&Aの中から鎌倉時代の『徒然草』の描写に関する質問をご紹介。果たして吉田兼好の観察は正しかったのか…?早速見てみましょう。 ※本記事は、『植物の謎 60のQ&Aから見える、強くて緻密な生きざま』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。
Q. 『徒然草』にある吉田兼好の観察は正しいのか?
『徒然草』第百五十五段に「木の葉のおつるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。」という一節があります。 これによると、木の葉が落ちるのは、先に葉が落ちてから芽ぐむのではなく、下から芽ぐむ力に耐えきれずに落葉する、と兼好は観察していますが、このような現象は実際にあるのでしょうか。 (大学院生の方からの質問)
A. 解釈によっては正しい観察と言えます
回答にあたって、若干の戸惑いがあります。まず、この記述は兼好が実際に見たことが書かれているのか。そして、この種の文章は科学的に正しい必要があるのか。言い換えれば、読者に伝えたい思いをわかりやすく説明するために考えた例えであってもいいのではないか。しかし、ここでは、兼好が実際に観察したことが記されているとの前提で考えてみたいと思います。 この一節は、現代語にすると「木の葉が落ちるのは、先に葉が落ちてから芽ぐむのではなく、下から芽ぐむ力に耐えきれずに落葉する」となるようです。この文章の前に「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋は則ち寒くなり、」とあるので、これらと対応させれば「先に葉が落ちてから芽ぐむのではなく」は「葉が落ちた後に芽が出るのではない。葉が落ちようとしているときには既に芽ができはじめているのだ」という意味なのかもしれません。 ここでの芽が葉の付け根にできる腋芽のことなら、若い葉の葉腋には既に腋芽ができていて、枯れて落葉するときには既に越冬芽はできているので、この文章は植物学的に正しいことになります。 しかし、「下から芽ぐむ力に耐えきれずに落葉する」という部分がわかりません。この部分が文学的に、あるいは思想的に重要な部分なのでしょうが、植物学的には曖昧です。次の世代の若い芽が育つ内的生理活性(生命力)が強くなってきて、それに抗しきれずに古い世代の葉が落ちてゆくということでしょうか。 しかし、そうであるなら、若い芽はどんどん成長していくはずですが、落葉の後は越冬芽として休眠するのが普通です。芽ぐむ力が「下から」という点を考慮すると、葉の下にある芽が大きくなる物理的な圧力に葉が耐えきれずに落葉すると解釈することもできそうです。 腋芽は葉の下にあるといってもいい位置関係にあるので、腋芽が大きくなれば、枯れて弱った葉はその押し出す力に耐えきれずに落ちてしまうことはありそうです。ただし、やはり落葉の時期に腋芽が大きくなりつつあることは、通常、ありません。