42歳で乳がん宣告された私が「おっぱいの再建」をしなかったワケ。平らな胸で銭湯に行ってみると
乳がん治療を経て響くようになった“ある言葉”
これに加えて、残りの人生を思い切り生き切ろうという気持ちも強く持つようになりました。 以前、グチグチと夫の不満をこぼしていたわたしに、尊敬する先輩がいつも言っていました。「人生の満足度は、その人生の中でどれだけ自分がご機嫌でいられたかの割合で決まる。だから自分のご機嫌を自分で取れるほうが幸せじゃない?」と。確かにそう。そのとおり。だけど当時のわたしにはあまり入ってきませんでした。やろうと思ってもできないんだよと、意固地になっていました。だけど乳がんの治療を経て、この言葉がグッと強く響くようになりました。 そして、今までのわたしは人生の満足度を下げるようなことばかりしてきたのだと反省しました。もう残りが見えている人生、自分のこだわりに固執するより楽しく過ごせたほうがいいかも。もちろん大事にしている価値観はしっかり持っておきますが、逆に、それ以外はしがみつかなくて良いんだと気づきました。 そう思うようになってから、時間はかかりましたが、徐々に夫との関係も改善していきました。そして息子の進路も収まるところに収まりました。 「人生、なるようになるのだ」と思いながら、今できることを思い切り頑張るしかないのかなと。気づけば人生折り返しを過ぎちゃったので、あとはできるだけ楽しく、充実した人生を送りたいと強く思っています。 乳がんを治療して命拾いはしたけれど、近い将来必ず人生の終わりが来る。以前よりも死をグッと身近に感じたからこそ、生きていることの貴重さを肌で感じ、以前よりずっとさまざまなことにチャレンジするようになりました。 慎重な性格なので、迷っている時間が長かったわたしですが、今ではある程度慎重に検討した後はひとまずGO! 決断までの時間もかなり短縮された気がします。
自分の足で人生を歩もうと決めた
自分の人生を夫だけに頼らず、自分の足で歩めるようになろうという意識も芽生えました。夫は20歳年上なのでいつまでも頼れないという実情もありますが、夫に依存していたら、いつまでも夫を意識した自分から抜け出せないと気づいたのです。 具体的には10年くらいの長期プランで、焦らずに末永く続けられる仕事を見つけようと決意。とにかく何か動き出そうとパートを始め、社会復帰の一歩を踏み出しました。そこでパート仲間と意気投合。仕事の合間には、その日の晩ごはんの献立や、スーパーの特売の話など、他愛もない話題で盛り上がったりと「いわゆる普通の主婦生活」ができるようになるまで復活しました。 普通の生活ができるということが、こんなに楽しくありがたいことだと実感できたのも、乳がんの治療を経験したからではないかと思います。 暗闇から息を吹き返した私は、それだけでは飽き足らず、もっと先まで続けられそうな仕事を見つけたいと思うようになりました。試行錯誤の末に書く仕事をいただけるようになり、こうして皆様にわたしの体験を届けることができるようになりました。