【台湾の生理事情】アジアで初めて月経カップと吸水ショーツを作ったのは台湾!「ムーンパンツ」開発ストーリー
東アジアで初めて女性が大統領に選ばれ、同性婚が法制化されるなど、ジェンダー平等化が進む台湾。実は、フェムテックの発展もアジア屈指だということをご存じでしたか? 台湾製の月経カップが誕生したのは、日本でフェムテックブームが始まる3年も前のこと。2010年までタンポンは2種類のみ、という状況から急速な進化を遂げた台湾の生理用品の歴史を、アジア初の吸水ショーツ「ムーンパンツ」の共同創設者であり、『生理を、仕事にする。台湾の生理を変えた女性起業家たち』(アジュマブックス)の著者であるユアンイーさん&フィオナさんに伺いました。 【世界の生理事情】生理用品、痛み止め…世界の女性はどうしてる?
高温多湿な台湾には合わないナプキンが生理市場を独占
――まずは、台湾における生理用品の進化について詳しくお聞かせください。1960年代に使いきりの生理用品が発売されるまでは、どのようなものが使われていたのでしょうか。 ユアンイーさん:資料や祖母世代の女性の話によると、「月事布(ユエシーブー)」と呼ばれる、現在のパンティーライナーのような形状のものを手作りして使っていたようです。月事布を主な生理対策とする文化は、私の母(1953年生まれ)の世代まで続きました。母の世代に発売された使いきりの生理用品は、とても高価で気軽に買うことができなかったんです。 しかし月事布は、古布を何枚も重ねただだけのもので、経血が滲んでしまうこともあった。そこで母は、月事布の片面にレインコート生地を縫い付けて、現在のナプキン風にアレンジしていたそう。それを聞いて、娘の自分が生理用品の開発を始めたのは運命だと感じました。 ――お母様の発想力を受け継がれているんですね! 1970年代になると、使いきりナプキンとタンポンが登場。しかしタンポンは高額かつ市場に出回る数も少なかったことから定着せず、2003年の統計では、使用率はわずか0.2%だったとか。 ユアンイーさん:ナプキンは手軽な一方で、漏れが起きやすく完璧とは言えません。さらに高温多湿な台湾では、熱気がこもり、不快に感じる人は少なくなかった。それでもタンポンを使用する人が増えなかったのは、種類が限られていたからです。2006年には、市場に出回るナプキンが47種類あった一方で、タンポンは「欧碧 o.b.」の多い日用と少ない日用の2種類のみでした。 「欧碧 o.b.」はアプリケーターのないフィンガータイプで、指で直接挿入しなければならず、コツがいりました。正しい使い方が周知されていなかったことも、タンポンの普及が進まなかったひとつの原因だと考えます。また、台湾に根付いた生理にまつわるタブーや性教育の不足も無関係ではないでしょう。