“一般家庭”から「超エリート進学校」に進んだ女性が感じた格差の正体「イジメられすらしない」
同級生の裏アカに書き込まれていたのは…
抗いようのない格差をはっきりと意識したわかなさんに、こんな追い打ちが待っていた。 「中学校の友人からは、イジメられることはありませんでした。ただ、あるとき、SNSの裏アカウントを発見してしまったんです。そこには、私の母が障害者であることを知っている子たちが『あの子は可哀想な状況の子だから、いじめたりしないで、仲良くしてあげようね』と書き込んでいました。私は、何もかもを持っている同級生たちから“仲良くしてもらう”側の人間で、憐憫の対象になっているんだなと悲しく感じました。友達がほしいと思ってハイレベルな学校を目指したのに、そこの住人たちからはイジメられすらしないんです」 ハイソサエティな同級生たちの無自覚な“洗礼”を受け、わかなさんの心は病んでいった。 「中学1年生で心療内科を受診し、うつ病と診断されました。学校も休みがちになり、徐々に体重減少などの身体的な変化も出てきて学校も休みがちになり、教師から心配されるようになりました。当の私は、希死念慮が強くなっていき将来が見通せないなかで、大卒の教師や院卒の臨床心理士からどんなに心配されても、『将来に疑問も持たずに生きてきたであろう人たちに、自分の気持ちは理解してもらえない』と頑なになっていきました。破滅的な願望がどんどん強くなっていくんです。もはや生きることに執着はありませんでした」
「精神科病院への入院」はむしろ…
高校時代以降、わかなさんには精神科病院への入退院を繰り返した時期がある。 「家庭は相変わらずの状態でした。昔から父と母が喧嘩になると包丁が出てきたりするんです。むしろ、母との関係について言えば、思うように回復していかない苛立ちを母からぶつけられることによって、険悪さを増していきました。そのとき、家庭に安らぎの場がなかったことに気づいたんです。このころになると、オーバードーズ(薬剤の多量摂取)が原因で精神科病院へ入院させられることもありました。一方で、精神科病院への入院は、私にとって家族から離れる時間をもたらしてくれたように現在では思います」 その後、大学を経て社会人生活に突入するが、わかなさんは突如として性の業界に足を踏み入れる。突飛にも思えるこの行動は、こんな経験に基づくものだった。 「家庭にも学校にも居場所がなくて、かといってオフィシャルのカウンセラーをやっているような“立派な大人”とは話したくもなかった学生時代、アプリを使ってたくさんの男性と出会いました。どの方も、私よりも少しだけ社会を知っているような年代です。必ずしも道徳的ではないそうした人たちに話を聞いてもらうことで、ちょっとずつ生き延びてきた感じがするんですよね」