映画「226」を振り返る 萩原健一ら豪華キャストで平成元年に公開
1936(昭和11)年2月26日から29日にかけて発生した二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)は日本史に残るクーデター未遂事件として知られ、これまでにも小説、映画、ドラマなど数々の作品に題材として扱われてきた。とくに1989年に公開された映画「226」(五社英雄監督)は、時代が昭和から移り変わった平成元年の公開で、ストレートなタイトルをはじめ萩原健一、三浦友和、本木雅弘ら豪華キャストを集め印象深い。 二・二六事件は大日本帝国陸軍内で一大勢力を誇った皇道派(天皇親政の下での国家改造”昭和維新”を目指した)の影響を受けた一部の陸軍青年将校らが1483名の下士官・兵を率いて決起したもので、映画「226」は同事件を史実に忠実におもに将校の側から描いた。 事件全体を総括するには膨大な量の分析が必要となるが、ここではあくまで映画「226」に沿う形でおおまかな経過を振り返る。
複雑な時代背景 決起した陸軍青年将校たちは…
当時の日本は1932(昭和7)年の五・一五事件など軍による一連のテロ行為やクーデター未遂が頻発した時期で、1933(昭和8)年には満州への武力進出が問題とされ国際連盟を脱退するなど国際社会で孤立していった。経済不況と農村恐慌で国民の不満は極限にまで高まっていた。そんな中、陸軍の青年将校たちは「窮状を打開するためには天皇を取り巻く元老や重臣を排除し、天皇陛下の大御心を直接国政に反映させるしかない」という考えに基づき“昭和維新”を計画。雪の降る昭和11年2月26日未明、野中四郎大尉ら8人は計画を実行に移す。22名の青年将校に率いられた約1500人もの決起隊は、それぞれ連隊の営門を出発したのであった。 栗原安秀中尉(佐野史郎)、対馬勝雄中尉(沖田さとし)らの栗原隊は第31代内閣総理大臣・岡田啓介(有川正治)を殺害するため首相官邸を襲撃、目的を果たしたかに思えたが、実は射殺されたのは義弟である松尾伝蔵秘書(田中浩)で、押入れに隠れていた岡田は翌日に脱出した。 坂井直中尉(加藤昌也)率いる坂井隊は斎藤実内大臣(高桐真)、渡辺錠太郎教育総監(早川雄三)を、中橋基明中尉(うじきつよし)率いる中橋隊は高橋是清蔵相(小田部通麿)を射殺。 安藤輝三大尉(三浦友和)率いる安藤隊は鈴木貫太郎侍従長(芦田伸介)を襲ったが結果的に命はとりとめた。 丹生誠忠中尉(宅麻伸)率いる丹生隊は陸相官邸を、野中四郎大尉(萩原健一)率いる隊は警視庁を占拠。 河野壽大尉(本木雅弘)率いる河野隊は湯河原の伊藤屋旅館別荘「光風荘」に宿泊中だった前内大臣の牧野伸顕伯爵(増田順司)を襲うも逃し、逆に河野は警備の警官に銃で撃たれ被弾して陸軍病院に収容される。 陸相官邸では決起趣旨が述べられ、この行動について天皇陛下の聖断を要求する。皇居では軍事参謀会議が開かれ、決起を認めるかのような陸軍大臣告示が発表されたが、宮中においては会合の結果、戒厳令の御裁可が参謀本部次長に下されて、決起部隊も戒厳部隊に編入される。そして翌27日には奉勅命令が発表、決起部隊に対し原隊への復帰が勧告されて、皇道派青年将校たちの思いとは逆の方向に事態は推移して行くことになる。
総製作費20億円 歴史扱う作品の役割
同作は、琵琶湖畔の滋賀県草津市の3千坪に総工費3億円をかけ4階建ての山王ホテルや陸相官邸、首相官邸、警視庁、赤坂見附の街路等、大規模なオープンセットを建設し撮影された大作で、建設機械を改造して戦車も製作された大がかりなものだった。映画ファンドで日本で初めて制作された作品で、総製作費は20億円といわれる。 時代は昭和から平成、そして令和へと移り変わった。温故知新という観点からも、今後もこうした歴史を扱った作品の果たす役割は大きいのではないだろうか。 (文:志和浩司)