「自分は何者」そこまで考える必要ない?虐待、いじめ、リスカ傷痕も大切な一部 「死んではダメ」手差し伸べた恩人のため「もう一度働きたい」
「障害者虐待は反対! 雇い止めはやめて!」。大阪府池田市のダイハツ本社前に声が響く。訴えの主は、2024年2月までこの会社で嘱託職員として働いていたYさん(30)だ。うつ病などがあり、23年3月に障害者枠で採用された。しかしミスをするたび上司から「障害を言い訳にするな」となじられ、継続を望んでいた雇用は1年で終わった。 【写真】国会がNGを出した障害者雇用ビジネス 「障害者は喜んで農園で働いている」はずが… 23年
母からの虐待、学校でのいじめ・・・。戸籍上の性別は男性だが、性別への違和感も持ち続けてきた。これまでの人生で「自分は何者なのか」と悩み、「そこまで考える必要ないんちゃう?」という言葉に苦しんできた。復職を求める背景には、どん底にいたとき「死んではダメ」と手を差し伸べてくれた就労移行支援事務所のスタッフの存在がある。恩に報いるために願う。「もう一度働きたい」(共同通信=岡田学時) ▽顔も知らない父、母からは過酷な虐待 Yさんは1994年に大阪で婚外子として生まれた。母は覚醒剤中毒で、父は会ったこともなく、顔も知らない。祖父母に養子として育てられた。 4歳の時、祖父母宅で同居していた、覚醒剤で錯乱した状態の母から虐待を受け始める。腕をつかんで振り回され、クローゼットに閉じ込められた。祖父母から「この不良が」といつも怒鳴られていた母。「鬱憤を晴らすために自分に当たったのでは」とYさんは話す。
仲たがいする祖父母と母の両方に嫌われまいと真面目に学校に通った。「得意な勉強で褒められることだけが存在意義でした」と自嘲する。 しかし9歳のころ、学校に母が乗り込んで来て、同級生に「うちの子をいじめてるやろ」と言いがかりをつけた。このことがきっかけで、周囲からいじめられるようになった。 母からはさらに、性的虐待も受けるようになった。耐えきれず自傷行為を繰り返すと、祖父から「おまえも母親と同じや」と怒鳴られた。長い間自分を虐げてきた母親と同じように見られたことが、悔しくてたまらなかった。 中学生になっても、同級生からのいじめは続いた。 ▽在日、そしてトランスジェンダーとして 在日コリアン3世のYさんは日本国籍だ。同じく日本国籍を持つ祖父は、Yさんによくこぼしていた。それは、自身が言われてきたという次のような言葉だった。「おまえは日本人じゃないから、日本人より成績が高くないと行きたいところいけないぞ」