「自分は何者」そこまで考える必要ない?虐待、いじめ、リスカ傷痕も大切な一部 「死んではダメ」手差し伸べた恩人のため「もう一度働きたい」
離婚後、子どもの頃から続いていたうつの症状が悪化。「死んだ方がマシや」。母からの虐待がフラッシュバックするといった急な発作の症状も現れ、工場の仕事を辞めた。何ヶ月かの間、体を売って飢えをしのぎ「毎日が地獄だった」。25歳の時にあらためてPTSDとうつ病だと診断された。 ▽採用、しかし… 支えになったのは、27歳だった2021年に知り合った就労移行支援事務所の職員Nさんの存在だ。就労移行支援事務所は、障害者総合支援法に基づく就労支援サービスで、一般企業への就職を目指す障害を持つ人のサポートをする。精神的、肉体的、経済的に苦しい状況だったYさんに、担当となったNさんは親身に向き合ってくれた。「絶対に死んではだめ。生きないと」。初めて自分に助けの手を差し伸べてくれた人だった。 Nさんのサポートもあり、2023年3月、Yさんはダイハツの嘱託職員に障害者枠で採用され、社内の安全設備の点検や管理を担う部署に配属された。「正社員登用を考えている」と言われ、うれしさと同時にほっとした。
しかし上司は、Yさんの仕事のミスに「考え方がおかしい」「障害を言い訳にする癖を辞めろ」などと無遠慮な発言を繰り返したという。支援事務所からダイハツに対して言動を改めるよう繰り返し申し入れたが、変わらなかった。 8月ごろからうつ病が悪化した。抗不安薬の副作用もあり、業務中にはさみで左手を切るけがを負ったが、上司から「ため息が出てしまう」などと言われた。フラッシュバックの症状が再び現れるようになった。上司からの発言について会社のハラスメント相談窓口にも相談したが、「今後はお互いに注意する」という対応で終わったという。 採用時には雇用継続や正社員への登用について言及があり、Yさんも雇用継続を希望していたにもかかわらず、23年12月、契約を更新しない旨を通告された。 つらい思いをし、不信感も抱く会社だが、「頼れる人にしっかりと頼ってほしい。心の壁を作らないで」という人間としてのアドバイスをくれたNさんへの恩返しにもなると、復職を願う。「障害をもつ人が同じような目に遭わないように、より働きやすい環境になるように、引き続き社内で頑張りたい」と話す。