「自分は何者」そこまで考える必要ない?虐待、いじめ、リスカ傷痕も大切な一部 「死んではダメ」手差し伸べた恩人のため「もう一度働きたい」
中学の同級生には「おまえは肌の色が白すぎる。日本人やない」と言われ、「民族と国籍が一致しない自分は何者なのか」と毎日思い悩んだ。 高校卒業後は立命館大学の映像学部に入り、中国語や台湾語も学んで、台湾で戦時中を生き抜いた人々に話を聞いた。日本の統治政策で「日本人として生まれざるを得なかった」というお年寄りの言葉が、在日コリアンである自分を客観的にとらえるきっかけになった。卒業論文では、在日コリアンであることを隠して生活する人々の存在をまとめた。 Yさんは幼少期から自らの性別違和にも思い悩んでいた。 「4歳ぐらいから祖母の化粧品を試しては、ばれないようにウエットティッシュで拭き取っていました。そのティッシュはすぐにトイレに流して」 9歳のころに見た京劇では、英雄に愛された女性「虞美人」役の俳優の演技に感銘を受けた。「こんなにきれいな人を男性が演じてるんだ。性別なんて関係ないんだ」
しかし性について抱えていたもやもやについては周囲に明かせなかった。高校生になると、本格的に化粧や女性ファッションに興味を持ったが、家で隠れて楽しんだ。 「今のようにLGBTQといった存在が広く認識されていない時代。誰にも言えずつらかった。自分は性的マイノリティーではないと思っていた」 性自認が女性のトランスジェンダーだと周囲に言えるようになるのは、まだ先の話だ。 ▽結婚、そして離婚 Yさんの性自認は女性で、恋愛対象も女性だ。図書館で出会ったベトナム人女性と交際し、23歳の時、カミングアウトをしないまま結婚した。しかし妊娠が分かった後「子どもを生んだら永住権をもらえる。もうあなたは必要ない」と、突然離婚を迫られた。 自身の父親を知らないYさんは「仮面夫婦でもいいから離婚はやめよう」と説得したが「離婚しないと娘と心中する」と拒否された。自分が親権を取れば妻はベトナムに強制送還されてしまう。泣く泣く離婚を受け入れ、親権を妻に譲った。