仙台市が策定した「観光特化の危機管理計画」、 能登半島地震当日の和倉温泉加賀屋の取り組みから学ぶべきことは? ―観光レジリエンスサミットから
マニュアルベースに訓練重ね、実効性高める
仙台市では東日本大震災の発生直後にJR仙台駅、地下鉄のターミナル駅の周辺に帰宅困難者があふれた苦い経験を踏まえ、2013年に民間事業者などの協力を得て仙台駅周辺の帰宅困難者対策協議会が設置されている。「JR仙台駅と駅周辺の宿泊施設を中心に一時滞在場所を設け、そこに一旦集まって安全を確保するというスキームを作成し、毎年継続的に訓練を重ねてきた。今回、観光に特化したマニュアルが完成したことにより、特に外国人旅行者にフォーカスした訓練も始まっている」(結城氏)。 具体的には、まず身の安全を確保する訓練をしたのち、緊急避難場所に一旦集まり、徒歩で帰宅できる人と帰宅困難者にふり分け、帰宅困難者に対しては、仙台駅周辺の宿泊施設などに最大3日間を目安に滞在させるステムが構築されている。さらに、こうした訓練の中で多言語の指差しシートを利用した情報共有や、情報集約、発信の訓練などもおこなわれている。 結城氏は「仙台市観光危機管理マニュアルを浸透させ、観光事業者に個別の危機管理計画を作ってもらえるような雰囲気の醸成、できるだけ訓練を重ね、実効性を高めていく必要がある。当協会としては、観光事業者の意見や行政の方針を吸い上げ、誰もが同じ方向を向いて災害対応できるよう取り組んでいきたい」と力を込めた。
社員総出で宿泊客の命守った
和倉温泉加賀屋の支配人、道下範人氏は、2024年元旦に起きた能登半島地震の現場対応を話した。道下氏は、「16時6分に震度5強の地震が発生した。お客さまがパニックになるのを防ぐため、すぐに全館放送をおこない、その場で待機し、安全が確認できるまでエレベーターの利用を控えていただくよう案内した。この4分後に震度7の本震が発生したが、先に全館放送で注意を促したことで、400人のお客様が、館内22基のエレベーターに誰ひとり取り残されずに済んだ」と振り返る。 本震により高層階のガラスが割れて落下してくるなど、大変危険な状況だったため、公共スペースにいた宿泊客に対しては「手で頭を覆ってください。壁から離れてください」と呼びかけつつ、全館放送で宿泊客に対する避難誘導を行った。同時に施設のガスの元栓、ボイラーの休止、厨房の火元の確認を行い、二次災害である火災防止に努めた。各責任者がすべて館別のフロア、大浴場や施設など全ての箇所の安否確認も実施した。 その日の気温は日中で7℃前後。避難してきた宿泊客は大半が浴衣姿で、寒そうにしていたため、暖を確保するために、スタッフジャンパーや客室の備品である羽織、ブランケット、バスタオル、さらに社員の私物であるコートやジャンパー類なども運び出して配布した。その後、宿泊客を地域の避難所である小学校へ誘導。夜になり気温がさらに下がったため、道下氏は建物の割れた窓を補強するための段ボールやガムテープ、布団を宿から運び入れること、またおにぎりを作って持ってくるよう宿のスタッフに指示している。 「なるべく多くの人にいきわたるよう、小さなおにぎりを400個程度作って配ったが、小学校には各旅館の宿泊客のほか地元住民も合わせて2000人以上いたため、全員に食べ物がいきわたらなかった。売店のスタッフに連絡し、売り場にある腹持ちのするお饅頭やお菓子を持ってこさせて、配布した。赤ちゃん連れのお母さんのため、粉ミルクや電気ポットの調達もおこなった」(道下氏)。