ニッポンの異国料理を訪ねて: ウイグルの味を世界へ。 さいたま市「シルクロード・ムラト」が伝える故郷の一皿
世界は、そして人々はつながっている──。 シルクロード・ムラトにいると、そんな世の中の姿が手に取るようにわかる。人気メニューのひとつである炊き込みごはん「ポロ」はウズベキスタンにもあり、「プロフ」という名の国民食として親しまれている。 ウイグルの朝の食卓には、ナンとイチジクやアンズのジャムと並んで決まって紅茶が出てくる。その呼び名はトルコやインドと同じチャイだが、ウイグルのチャイはインドやトルコとは異なり、砂糖ではなく塩を入れる習慣があるという。普遍性の中に、さりげなく多様性が浮かび上がる。
「偉くなりたくて日本に来た」
ナンの釜入れを見届けてしばらくくつろいでいると、近所に住むエリさんの日本人の友人がひょっこりと顔を出し、昔話に花を咲かせる。 友人「僕は以前、和食レストランをやっていて、その店に来日間もないエリさんが来たんだよ。それから近所の居酒屋でもちょくちょく会うようになって付き合い始めた。当時はエリさん、日本語ができなかったよね」 エリさん「全然。与野(さいたま市)の日本語学校に通ってはいたけど」 友人「知ってたのは『カンパイ』くらいだったんじゃない?」 やがて友人が帰ろうとすると、エリさんは「これ持って行って」と言って、でき立てのナンと一緒に、スイカを手土産に持たせた。彼が言うには、この組み合わせが「言葉にならないくらいうまい!」らしく、友人も太鼓判を押すのだった。 この日はイスラム教の礼拝日である金曜日。昼になるとエリさんはスタッフとともに近所のモスクに出掛け、その後、自らの人生について話を聞かせてくれた。 シルクロード・ムラトの店主エリさんが来日したのは1997年、27歳の時だった。 「ひとことで言えば、ぼくは偉くなりたくて日本に来たんです。父は県知事まで務めた人で、姉は大学の先生。ぼくはウイグルの国営企業の会計士として働いていたけど、最終学歴が専門学校だったので、父や姉のように偉くなるには大学や大学院に行かなきゃいけないと思った。それで姉が留学していた日本に来たんです。アジアナンバーワンの経済大国でしっかり学んで帰ったら、ウイグルでエリートになれると思って」 日本での暮らしは、見るものすべてが新鮮で驚きに満ちていた。駅の自動改札や自動販売機を見るたび最先端のテクノロジーに感心していたが、なにより忘れられないのがバラで有名な近所の与野公園にある公衆トイレの美しさだった。「遠くから見て別荘かな? と思って近づいて行ったら、トイレなんです。日本人はトイレにこんなにこだわるんだと驚きました」 日本語が上達して知り合いが増えてくると、日本人の生き方にも感銘を受けた。「お金持ちの社長の子どもでも、自分の力でがんばりたいという人が結構いて、起業するためにバイトでお金をためている人によく出会いました。血縁や賄賂に頼らず、自分で道を切り開こうとする。自分が生まれ育った国にはいないタイプの人たちでした」 日本語学校を出て、日本の大学で経済を学んだエリさんは、この国で働いてみたいと思い、自動車部品メーカーに就職する。だが、すぐにやめようと思った。その会社はウイグルに進出しようとしていたが、計画がとん挫し、会社にいる意味がなくなってしまったからだ。 「その会社の社長さんは、私が『役に立てないからやめる』と言い出すと反対しました。私のことを気に入ってくれていたからです。でも私は意志を貫き、自分のペースで働けるレストランを開こうと思って調理師免許を取得しました。ウイグルにいたころ、父の友人の食堂を手伝っていたこともあって、料理が得意なんです。日本の調理師免許だから、ぼくは和食ならなんでも作れる。でも、外国人の和食を誰が食べてくれるの? そう思って故郷の料理を出すことにしました」