「子どもができたから路線を変えるとか、そういう発想はないです」ずっと珍獣ハンターでいたい、イモトアヤコのキャリア観
日本のことを全然知らないなって気づいた
巡った国は、世界118か国。 一番印象的だった場所は、コモド島だ。 「やっぱりいろんな意味で、最初に行ったインドネシアのコモド島。コモドドラゴンとの競争、あれがすべての原点なので……」 それが2007年のこと。以来イモトといえば、大自然の中で駆け回っているイメージだが、ロンドンなど大都市も大好きだという。プライベートではニューヨークで一人旅を楽しんだ。 「でも、あまりにも海外ばかり行きすぎていて、ふと、日本のことを全然知らないなって気づいたんですよ。京都にもほとんど行ったことがなくて。自分の国のことがわかっていないのってよくないなと思って、お休みができるたびに国内でも一人旅をするようになりました。京都や金沢に行ってみたり」
自分の“ほぼ日”を作ったら
旅は、こんなふうにずっとイモトにとって生活の一部だった。 やがてイモトの中で、「この旅の経験を生かして、何かモノ作りをしてみたい」という気持ちが芽生えはじめる。 「コロナの前くらいですかね。『こんな旅グッズ』があったら便利だな、と思いだして、そういうアイテムって、糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』にあったら良さそう……と。それで“ほぼ日”をじっくり見ていたんですが、ふと、『ひょっとして、自分の“ほぼ日”を作ったらいいんじゃない?』とひらめいたんです」 それからまもなく、世界に新型コロナウイルスが蔓延した。 海外への渡航は難しくなり、イモトの海外ロケもストップ。ステイホームが叫ばれ、日本中に閉塞感が漂っていたあの頃だ。 「海外ロケの移動中に、よく本を読んでいました。また、文章を書くことも好きです。だからブログでもいいのかなと思っていたんですけど、やっぱり何か思っている事を文字にしたり商品を開発したり、お気に入りのアイテムを紹介したり、いろんな人と対談をするなど、さまざまなカタチで発信できるメディアにしたいと思ったんです。それで、WEBマガジンをスタートさせることにしました」