戦争体験集「孫たちへの証言」最新号で終刊 30年以上にわたり刊行
応募総数は2万530編、掲載総数は2609編、今年で33集
市民の戦争体験を語り継ぐ証言集「孫たちへの証言」がこの夏刊行の第33集で終刊を迎えた。発行元の新風書房(大阪市天王寺区)代表で、創刊以来編集に打ち込んできた発行人の福山琢磨さんが、自身の闘病による編集活動の継続が困難なことや、生存する戦中世代が少なくなりコロナ禍の混乱から応募作品が減少したことなどを受けて決意した。戦争から75年、ベテラン編集者のライフワークが一区切りついた格好だが、今後も在庫切れ分の復刻出版や、未掲載原稿のデータ化による保存活用を目指して、戦争体験を次代につなげる大切さを訴えていく。 【拡大写真】「孫たちへの証言」第30集(中央手前)とバックナンバー
今年の応募は減少、新型コロナなども影響か
証言集は1988年から毎年刊行され、今年で33集に達した。応募総数は2万530編で、掲載総数は2609編。戦争体験をテーマとする継続的な出版活動は珍しい。 今年の応募は239編。昨年の347編から3割減り、公募を始めた3集以降で、もっとも少なかった。戦争を知る世代が年々減少している時代背景に加え、新型コロナウイルスの感染拡大にともなう暮らしの混乱も、応募が伸び悩んだ要因とみられる。
百歳の元兵士も過酷な体験を投稿
福山さんは「応募が少なかった分、どうしても書き残したいという気迫のこもった作品が目立った。百歳の方からの応募も2編あり、どちらもすぐれた作品でしたので掲載しました」と話す。 百歳の応募者のひとりは元衛生兵。ニューギニアの野戦病院で、傷病兵の治療に追われる。戦局が悪化し、患者の後方への護送命令が出た際、移動できない患者は自決を強いられた。衛生兵は命令に逆らってまで、か弱い声で母を呼ぶ重傷患者を助けようと試みる。手記にこうしるす。 『包帯を何重にもしたたすきを作り、彼を背負って歩く。しかし、五百メートルもいかない内に、急に息を引き取り息絶えた。何ということだ。私は周囲をはばからず大きな声で泣いた』
今年3月に医療機関へ救急搬送、脳出血との診断
福山さんは1934年、鳥取県倉吉市生まれの86歳。国に尽くす少国民として幼少年期を過ごした世代だ。今年3月、勤務中にろれつが回らないなどの症状が出て、医療機関へ救急搬送。脳出血との診断も、発見や処置が早かったことが幸いし、軽度で済んだ。今も体の一部にしびれが残るものの、日常生活には支障がないまでに回復した。それでも、終刊を決めたのは、病後の体調が編集作業のハードワークに耐えられないからだという。 掲載に向けて、福山さんは全国に点在する執筆者にお尋ね状を差し出す。郵便はがきに原稿の不明項目を書き出して、正しい情報の再提供を求める。執筆者の多くは文章の専門家ではない。家族構成や固有名詞が抜け落ち、記憶違いが発生しているケースが少なくない。執筆者が便せんにびっしり書き込んで返信してきた情報を元にやりとりを重ね、少しずつ原稿の精度を高めていく。福山さん自身も執筆者個人ではアプローチがむずかしい関係官庁への事実確認作業をいとわない。