築64年の平屋建て団地“天空の廃墟”に申し込み殺到、その圧倒的な「魅力」団地が借りたい人が夢見ているもの
都市の賑わいをうっとうしく感じ、どこか郊外に拠点を持ちたいものの、そこまで遠いところに行きたいわけではない、という人からするとほどよい距離感の場所と感じるらしいのである。 「当社の拠点である鎌倉に長く住んでいる人の中には今の鎌倉は賑わい過ぎていてここじゃない、違うという感覚をお持ちの方々がいらっしゃり、月見台はその方々にも好評です」 それほど離れているわけではないのに都市の賑わいからすっぱり切り離された異空間。それが「今いる場所ではない、どこかに行きたい願望」に火をつけているのかもしれない。
もう1つ、このところ、まちづくり関連の取材先でよく聞く「村を作りたい願望」も秘められているのではないかと感じている。村といっても地方自治法でいうところのものではなく、もう少し小さな、顔の見える関係で成り立つ集落といったようなイメージだろうか。 従来の集落と異なるのは地縁、血縁でつながる関係ではなく、生き方や目指すものなどへの共通性、共感で緩くつながるような集まりであること。住所、年齢、勤務先や家族構成まで全部筒抜けの従来の地域団体とは一線を画す、なんだったらハンドルネームだけの関係ながら皆で目指すものに関しては強いつながりを持って動くーー。
■過干渉と没交渉の「ちょうどいい中間」 ここ数年日本のあちこちの取材先で聞く「村」はおおよそそうしたもののようで、非常に雑駁な言い方をすると地方に多いとされる過干渉な関係、都市の特徴のように言われる没交渉な関係のちょうど中間くらいの関係性というところ。これまた雑に言うと、「ほどよい距離感の、居心地のいい人間関係のある集落を作りたい、そうした人間関係の中で暮らしたい」と言い換えてもいいのかもしれない。
その観点からすると月見台は互いの顔と名前が一致するくらいの規模であり、そもそもこの場所に関心を持ち、何かやってみたいと思う時点で方向性は近しいと推察できる。これまでにない場所で、これまでと違う仕事に挑戦し、そこで新しい関係を紡ぎたい。月見台再生への期待がかなり大きい人たちが集まってくるわけだ。 今後も現地でのイベントなどの開催予定はあり、まだ申し込みのチャンスはある。人生をちょっと変えてみたいと思ったら試してみる手はあるだろう。
中川 寛子 :東京情報堂代表