戦後77年でも終わらない不発弾処理 近年の年間処理件数は1000件台 #戦争の記憶
周辺住民「戦争は怖いなと感じた」
午前11時過ぎ、市役所1階ロビーに到着。ここは、市が避難住民のために設置した2か所の一時避難場所のうちの1つです。ロビー内を見渡すと、避難者のほとんどが高齢者のように見受けられました。 「不発弾が見つかった場所と目と鼻の先に住んでいる」という70代女性は、終戦後の生まれ。「戦争は知らないですね、戦争終わってからの子ですので。そういえば『戦争を知らない子供たち』っていう歌ありましたね(笑)」と朗らかに語りましたが、一方で、周囲に目をやりつつ「爆弾が1つ出てきただけでこれだけの人をね、不安にさせるんですから、戦争は怖いな、とひしひしと感じましたね」と表情をこわばらせてもいました。
陸自の第103不発弾処理隊が作業を実施
正午過ぎ、陸上自衛隊の第103不発弾処理隊が処理を開始しました。防衛省の陸上幕僚監部監理部によると、同処理隊は不発弾処理に関する特別な訓練を受けている隊員で構成されているそうです。 市水道部の庁舎内に設置された不発弾処理現地調整本部では、現場から処理状況が刻々と伝えられる様子を本部内に詰めかけた市職員や警官らが見守っていました。同処理隊は午後0時36分に弾底の信管、午後1時20分には弾頭の信管の除去に成功。午後1時33分、本部長である後藤市長が現地から安全宣言を発しました。
処理隊隊長「最終的には短時間で処理できた」
午後2時ごろ、強烈な日差しにさらされながら他の報道陣とともに不発弾処理現場へ。防護壁の中から、クレーンで吊り上げられた処理済みの不発弾が姿を現しました。マグロのようにずんぐりとした大きな図体で、表面はサビのためか濃い茶色をしています。 今回の処理について、同処理隊の生田博和隊長は「処理の難しさは着弾時の状況や信管の固着の度合いで変わりますが、最終的には短時間で処理できたと考えています。状態が良かったということだと思います」などと説明しました。
市長「無事に終わったが、これで終わりではない」
続いて報道陣の前に現れた後藤市長は、「無事に終わったが、これで終わりではない」として、不発弾は今後も見つかる可能性があるとの認識を示すとともに、「今後、開発業者には土を掘る際にはよく注意して、(不発弾の発見など)異常があれば慎重に作業を止めるよう、しっかりと伝えたい」と話しました。 なお、この不発弾処理の影響で、JR西日本は正午から午後3時まで、不発弾発見場所のすぐ横を走るJR京都線やJRおおさか東線の列車の運行を取りやめました。運休本数は162本となり、約4万8000人に影響がでたということです。