『極悪女王』で話題の全日本女子プロレスはすべてが「規格外」だった 元東スポの柴田惣一が明かす人気とその裏側
【若手女子レスラーたちの受難の日々】 ――昔は、女子プロレスラーは「アイドル」でしたね。 柴田:ファンは若い女の子ばかり。今みたいに年齢層の高い男性はあまりいませんでした。女性たちの"憧れの存在"でしたね。初期の女子プロレスは、プロレスというよりは女性同士の取っ組み合いのケンカ、つまり"キャットファイト"と呼ばれるものでした。でも1974年にマッハ文朱が出てきて「技を魅せる闘い」になったんです。 ――マッハさんが、それまでの「女子プロレス」を変えたんですね。 柴田:その姿に憧れた女子学生がオーディションに殺到したんですが、中学を卒業したばかりで何も知らない子が多かった。彼女たちは会社の方針に素直に従うしかありませんでした。中卒の女の子が高い給料をもらうわけですが、寮費だとか何だかんだとか、いろんな名目で天引きされてしまうわけです。 結局、実際にもらえる金額はかなり目減りしたそうですね。道場に併設された寮での生活で、衣食住の「食」と「住」は確保されていました。とはいえ、お米は十分に支給されていたけど、おかずは自腹。実家からの仕送りなどがあった時はいいけど、基本は缶詰がご馳走だったとか。 雑用なども多くて自由時間が少なく、服装も普段はジャージ。若い選手たちにとってはかなり厳しかったようですが、「お金を稼ぎたいならスターになれ」とハッパもかけられていたから、ハングリー精神もすごかったです。会社としては儲かっていたわけですから、"どんぶり勘定"だった松永兄弟がキチンとお金を管理していれば、いくつも自社ビルが建ったでしょうね。 ――そんな管理がひどかったんですか? 柴田:うーん......先ほども触れましたけど、毎晩のように社長たちは豪遊していたらしいですからね。周りの人から、「このビルを買って、不動産収入でお金を儲けたら?」とか、自社ビル建設や投資も勧められたらしいですけど、あまり興味を示さなかった。もっとも、資金はたっぷりあったから、徐々に投資話にも耳を傾けるようになったみたいですけどね。 ――うまい話に騙されてしまうリスクもありそうですね......。 柴田:実際に土地と株とか、いろいろと損をしてしまったみたいですね。だから、お金に詳しい人が管理をしていたら、まだ全日本女子プロレスは続いていたかもしれません。