アメリカ大統領選、衆院選、兵庫県知事選…なぜSNSが選挙で猛威を振るっているのか 「ネット上のデマに気をつけましょう」と呼びかけても何も変わらない現実
SNSと衆愚政治
「衆愚政治という言葉も歴史は古く、古代ギリシアの時代にまで遡れるそうです。プラトンやアリストテレスは『多数の無教養で貧しい市民が政治に参画すると、失政が重なることがある』と指摘しました。最近の使われ方を見ると、ポピュリズムは『政治家が有権者にすり寄る』というニュアンスが強く、衆愚政治は有権者の“質”を問題視しているようです。近年の日本政治では2022年7月の参院選で、暴露系YouTuberのガーシーこと、東谷義和氏が当選したことが挙げられます」(同・記者) 東谷氏はYouTubeで一部の芸能人の行状を“暴露”して話題を集めた。彼の人気をSNSが増幅させたのは言うまでもない。ドバイに滞在して一度も当院せず、23年3月に参院は除名処分とした。同年6月に警視庁が脅迫や名誉毀損などの容疑で逮捕、24年3月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決が下されて確定した。「SNSに騙されて、こんな人物に一票を投じるなど、有権者の質も落ちたものだ」という慨嘆が、衆愚政治という政治用語に再び注目が集まった理由だ。 ポピュリズムや衆愚政治はファシズムとの関係も指摘されている。ナチスは大衆迎合主義的な公約で広範な有権者の支持を得ることに成功し、基本的には議会制民主主義のプロセスに従って政権を奪取。独裁制を実現するとあらゆる政治的自由を封殺した。
オルテガ、フロム、西部邁
大衆とは何かというテーマに挑んだ思想家も多い。スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは1929年、『大衆の反逆』を上梓。大衆を「無責任で利己的な人々」と痛烈に批判した。 大衆がナチスに傾倒した理由を解き明かしたのはドイツの社会学者、エーリヒ・フロム。彼は著書『自由からの逃走』で大衆が自由を重荷に感じ、ファシズムに加担していくプロセスを描いた。 日本における大衆批判は、思想家で評論家の西部邁氏が1983年に刊行した『大衆への反逆』(文藝春秋)が知られている。西部氏にとっては最初の評論集であり、その中には「“高度大衆社会”批判 オルテガとの対話」という章がある。その一部をご紹介しよう。 《現代の大衆は支配されたり搾取されたり操作されたりしているのではない。むしろ、大衆の欲求と大衆の行動こそがまもられるべき玉条となっている。そして大衆は自分らの代表を権力の地位におくりこんで、大衆に反逆するものどもを圧殺する。もしくは社会の片隅に幽閉する》 大衆の欲求がSNS上で可視化され、その結果としてSNSが選挙で猛威を振るい、SNSの影響を受けた大衆は自らの代表を権力の地位に送り込み、SNSに疑問を投げかける人々を圧殺する──西部氏の指摘は、インターネットが高度化した現代社会にこそ当てはまるのかもしれない。