三宅裕司「70代のいまが、一番楽しい」と語る理由 舞台演出家としての新たな境地
「三宅裕司のヤングパラダイス」などで一世を風靡した、マルチタレントの三宅裕司さん。 座長を務める劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」は創設45周年を迎え、「ニッポン狂騒時代~令和JAPANはビックリギョーテン有頂天~」が絶賛公演中。 『THE21』2024年11月号では、現在の意気込みと目標を聞いてみた。 取材・構成:横山由希路 写真撮影:まるやゆういち スタイリスト:加藤あさみ(Yolken) ※本稿は、『THE21』2024年11月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
新作舞台のきっかけはインターネットの討論番組
――毎年コンスタントに本公演を上演するスーパー・エキセントリック・シアター(以下、SET)ですが、今年も秋となり、新作舞台の時期になりました。「ニッポン狂騒時代~令和JAPANはビックリギョーテン有頂天~」は、洋楽カバーポップスの訳詞家と60年安保の学生運動家との青春ストーリーとのことで、この時代に焦点を当てるきっかけはどんなところにありましたか? 【三宅】僕は自分の青春時代だった60年代の歌が大好きで、その時代に流行っていたのがアメリカンポップスだったんですよ。そのときに『ルイジアナ・ママ』などのカバーポップスの訳詞を手がけていたのが、漣健児さんという方で。日本語の面白い部分を上手に8ビートに乗せる。桑田佳祐をはじめ、リスペクトしているミュージシャンはたくさんいて、現在のJ‒POPの礎を築いた一人ですね。 ずっとカバーポップスをテーマにした舞台がやりたかったんですが、漣さんの日本語訳詞に賭けた情熱の他にフックになる要素を探していて、そんなとき学生運動をテーマにしたインターネットの討論番組を観たんですね。そうしたら、団塊の世代の方が「僕も学生運動をやっていたけど、結局アレは何でもなかったんですよね」と言ったんです。 これは面白いなと思って。60年安保とカバーポップスの流行は、同じ時代に起きているから。かたや学生運動はアメリカの言う通りに日米安保条約を改定するのがイヤだと言い、カバーポップスはアメリカの曲にどう日本語を乗せたらヒットするかを考えている。この2つを軸にして、恋愛を絡めたら面白いかなと思ったんですね。 もう一つ面白かったのは、団塊の世代の方が「結局、何でもなかったんだよな。俺たちの学生運動は」と言ったときに、若い人が「いや、でもそんなことはないんじゃないですかね」と意見したこと。 その様子を観たときに、もしも60年安保と同じ状況になったら、今の若者は果たして立ち上がるのだろうかと考えたんです。このテーマで、今の若い人たちに何かメッセージを伝えられないかな、と。それが企画の発端でしたね。 ――1969年に三宅さんは明治大学に進学されます。どんな学生時代を過ごされていましたか? 【三宅】僕はもう、ジャズコンボバンドとコミックバンドと落語研究会を掛け持ちする、まったくのノンポリでしたから。「安保反対!」の声の後ろで「インポ、治せ!」と言っていたぐらいで(笑)。 当時、教授が授業を始めようとすると、学生運動の生徒が「集会をやりたいので、お時間をください」と先生に交渉するんです。それで、僕は授業がないから帰ろうとすると、学生運動の生徒に言われるわけです。「君は日本や社会について考えないのか? 何も考えていない君は、サルと同じだ!」って。それで僕はサルのマネをして教室を退場するという(笑)。