【家族のかたち】「老いた親を支えたいとは思わない」親の教育の呪縛から解放されたきっかけとは~その1~
妻が母に話しかけても応えるのは父だった
父親のせいで、良平さんと姉の仲もあまりよくなかった。姉と仲良くなれたのはお互いが結婚した後だったという。 「姉は大学だけでなく、塾や習い事もさせてもらえなかったのに、私はどちらも自分が希望してのものでなく、父親の希望で通っていました。姉からしたらそれが許せなかったと、大人になってから聞きました。 姉は職場で知り合った男性と結婚したのですが、姉の夫が私と姉を繋いでくれて、和解できました。義兄は父とは真逆の人で、姉夫婦の子どもは娘2人なんですが、上の娘は今留学しています。姉も結婚後に大学に通い、今は資格を活かした仕事をしています。自分の父親が義兄のような人だったら、うちの家族はもっと違った関係だったと思いますね」 良平さんは父親の希望した大学に進学して、知名度のある企業に就職する。妻とは職場で知り合い、28歳のときに結婚。妻も高学歴だったが、年齢が3つ上で30歳を超えていたことや、妻が結婚後も仕事を続ける意向を示したことで、父親は結婚に対してあまりいい顔はしなかったという。 「反対こそしなかったものの、父は孫のことを気にして妻のことを受け入れることに難色を示していました。挨拶の場では、孫についてなど直接的な言葉は絶対にやめてくれと伝えていたので大丈夫でした。 挨拶の場では妻は積極的に母親に話を振っていたのですが、応えるのは父親ばかりだったので、そこに違和感を覚えたようでした。父がどんな人なのかは事前に妻には伝えていたのですが、母親のことはあまり伝えていなかったんです。母のことで伝えておくべきことが思いあたらなかったんですよね」 結婚をしたことで妻は部署を異動することになり、仕事は多忙になった。良平さんはすぐに子どもが欲しかったが、そんなことを伝えられる環境になく、タイミングを待つことに。その間に良平さんも部署異動になり、その部署で上司との折り合いが悪いことがストレスになってメンタル不調に陥ってしまう。 「眠れない日が続き、頻繁に起こる頭痛から普通に会社に行って仕事をすることがままならなくなりました。それで仕事を辞めることにしたんです」 仕事を辞めたことをきっかけに、親が植えつけた価値観がどんどん崩れていった。 【~その2~は関連記事から】 取材・文/ふじのあやこ 情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
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