高校まで無名も…。プロ入り後に化けた日本の怪物6人。現日本代表の主力も! 才能開花のきっかけは?
当然ながらプロの世界は厳しい。若くして「天才」と称された選手でも、プロの道で順調な歩みを見せるとは限らない。ただ一方で、まったく無名だった選手がプロの世界で大きく羽を広げる例も少なくない。今回は、高校まで無名も、プロ入り後に化けた日本人選手をピックアップして紹介する。
MF:中村憲剛
生年月日:1980年10月31日 川崎フロンターレのレジェンドである中村憲剛は、プロ入り前まで「完全に無名の存在だった」とは言い難い。しかし、彼が大成功を収めるまでのサクセスストーリーには目を見張るものがある。 東京都生まれの中村は、久留米高等学校(現在は東久留米総合高校)卒業後、中央大学に進学した。久留米高校は過去に全国大会出場の実績があり、中央大学は関東大学リーグの中でも名門チーム。全くの無名選手が歩む経歴ではないだろう。 その一方で、中村は年代別日本代表に招集されたことがない。そういう意味では、プロ入り前の中村に対する世間の注目度はそこまで高くなかったと言えるのではないか。 中央大学時代にはチームの主将を務めたこともあったが、ユニバーシアード代表や関東選抜への選出は無かった。 しかし、川崎Fでプロサッカー選手の一員となった中村は、チームの攻撃の中心を担う存在にまで成長を遂げる。 2003年から2020年まで第一線で活躍し、J1リーグ通算471試合に出場するという偉業を成し遂げた。また、日本代表として、ワールドカップを含む公式戦68試合に出場した。 現在では川崎Fのバンディエラとして、また、日本サッカー史に残る偉大なプレイヤーとして、中村憲剛の名前は広く認知されている。
FW:伊東純也
生年月日:1993年3月9日 日本代表の右サイドに欠かせない存在となったFW伊東純也だが、高校時代は無名の存在だった。 伊東は小・中・高とすべてのカテゴリーで全国大会に出場したことがない。スピードを活かしたドリブルには光るものがあったとはいえ、逗葉高等学校(現在の逗子葉山高校)では目立った成績を残すことはできなかった。 しかし、神奈川大学に進学すると徐々に頭角を現し始める。伊東は3年生の時に関東大学リーグの2部で得点王に輝き、翌年にはアシスト王に。3年・4年生の時には2年連続でベストイレブンに選出されるという凄まじい活躍を見せた。 これらのパフォーマンスが評価されて、伊東は2015年にヴァンフォーレ甲府に加入し、2016年に柏レイソルへと移籍を果たす。 柏のユニフォームに袖を通してから、同選手の名前を知った人も多いだろう。同クラブではリーグ戦通算68試合に出場し、12ゴール18アシストという記録を残した。 単騎で仕掛けて突破するプレーだけでなく、味方のゴールをお膳立てするクロスにも定評がある。そして、その上前線からの守備も怠らない。 理想的なウインガーへと進化を遂げた伊東は、ヘンク(ベルギー)を経て、現在はスタッド・ランス(フランス)でチームの主力としてプレーしている。 伊東がこれまで歩んだキャリアを振り返ると、錚々たるメンバーが揃う日本代表の中で彼がどれだけ「異質な存在」であるかが分かるだろう。